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「知識なんかなくても大丈夫だよ」は全くのウソ

「知識なんて必要ない」

そのような趣旨の言説をしばしば耳にする。
本当にそうだろうか?

確かに知識がなくても上手くいくことはあるし、実際僕もその経験はある。
なにより知識のある人に知識のない自分が勝つという状況はいかにも少年ジャンプ的でカッコいい。

だからといって本当に「知識はいらない」と言ってよいのだろうか?

「情弱」という言葉

僕は起業してから初めて「情弱」という言葉を知った。

情報に弱い=知識がない人たち

またそれは暗に騙しやすい「カモ」であることも意味している。

すごくひどい言葉。

でも、そのひどさに僕が気づいたのは起業して時間がたってから(=情報を手に入れてから)である。

それまで5年近く売れないお笑い芸人をやってた僕もまさに「情弱」だった。


「知識がない」ことを自覚することはできない

そう、情報を得て初めて自分が「情弱」だと知ったのである。

いや、正確に言うと自分が情弱であることは知っていたのかもしれない。
情弱でいる事の「怖さ」に気づいたのだ。

自分が持っていない知識の価値を知ることは構造上不可能だ。

この性質を利用して「情報商材屋」という怪しい職種の人たちが世にはびこっているのである。

因みに僕がそのことを知ったのも起業してからだ。

知識の差は異質

体力のある人・ない人
頭の回転が速い人・遅い人
歌が上手い人・上手くない人
・・・

世の中にいろんな軸で得意な人・不得意な人がいる

だが、それと同列で
知識がある人・ない人
の差も捉えていないだろうか?

だが実際は知識の差だけが異質であることに気づいて欲しい。

なぜなら知識の差はすべての物事に関わってくる根本的な「差」だからだ。

知識がないとコンパスがずれる

そしてなぜ根本的なのかというと、それは「意志決定の精度に影響を及ぼす」からである。

どんなに才能があっても知識で負けてしまうと上手いように利用されてしまう。
なぜか?

船に例えるとそもそも漕ぐスピードがどれだけ速くてもコンパスが指し示す場所が違えば目的地に一向にたどりつかない。
漕ぐスピードが人によってそんなに変わらないとしたらより正確なコンパスを参考にするしかない。

そして、この「コンパス」の精度を上げるものこそが知識であり、知識でしかないのである。
才能があっても漕ぐスピードが変わるだけでコンパスの精度を高めることはできない。
僕は若手起業家なので若手起業家っぽい言い方をすると最も「レバレッジ」がかかるのが知識だ。


アウトプットが大事なんじゃないの?

と、ここまで「知識」「知識」と言ってきたが、今度はその知識を手に入れる方法に目を向けてみよう。

「何事考えてるだけじゃ始まらない。まずはやってみよう!」
「インプットよりアウトプットが大事」

これらは自己啓発本やビジネスYouTuberたちがこぞって口にする言葉だ。

結論から言うと僕はこの考えに賛成である。
だがここには落とし穴があると思っている。

これらの言葉は「知識は必要ない、行動せよ」と解することができるという点だ。

知識を得るプロセスとしてのアウトプット

アウトプット(=行動が)が大事ということと知識が必要ないということは同じ意味を示しているわけではない。

知識を得る得ないの話ではなくて知識を得るタイミングが違うだけなのだ。
詳しく考察してみよう。

知識を得る方法は伝聞形式と体験形式の二つある。

伝聞形式とは本やネットや人から知識を得ること
体験形式とは実際に自分がやってみて知識を得ること

伝聞形式は多くの知識を素早く手に入れる事ができるし、なによりストレスもリスクも負う必要がない。
だが体験形式ではストレスやリスクを負うかわりに本当に必要な情報だけを肌感を伴って得ることができる。

多くの人はストレスとリスクを避けるために伝聞形式のインプットに終始するが、本当にやるべきことは体験形式で必要な情報だけを肌感を伴って得ることである。

と、これが「インプットよりアウトプットが大事」という言葉の真意なのではないか?

つまり「インプットよりもアウトプットが大事」という論を言い換えると「知識を得るタイミングをアウトプットの前に置くのではなくアウトプットの後に置くべきだ」と言える。

決して知識が必要でないという話ではない。

まとめ

ここまで僕は知識の大切さを主張してきた。
それはこれまで自分自身が「知識なんて必要ないよ」というアドバイスを曲解してしまったせいで、意志決定における沢山の取り返しのつくミスと幾つかの取り返しのつかないミスをしてしまった自覚があるからだ。

「知識を手に入れてお金を稼ごう」
「人生を豊かにしよう」

とか僕はそんなことが言いたいんじゃない。

僕が言いたいのはつまるところ

知識がなければ本当に感謝しなければならない人に感謝することすらもできない。本当に憎まなければならない人を憎むことすらもできない。

ということ。

僕はそんな風にはなりたくない。

今貴方が頭を下げている人は詐欺師で、感謝すべき人は他にいるのかもしれない。

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