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通り雨【たいらとショートショート】

「先にお飲み物お伺いしましょうか?」

と店員に声をかけられた瞬間、目を見開いた。

この声…。



ハッとして目を伏せると、メニューも見ずにカフェラテ、と言った。聞こえるかどうかわからないくらい小さな声だったにも関わらず、彼女はニコリと注文を繰り返し店の奥に消えた。


雨粒が無数に降り注ぐ窓の向こう側では、せわしなく人々が行き交い通り過ぎていく。ランチをとっくに過ぎた時間、客はまばら。店内は雨音ひとつしない、無音のBGMが流れる。

色味のない街と、雫の付いたガラス1枚で隔たれたカフェ。こちらとあちら。まるでこちらは別世界で、この世にたった一人しか存在していないかのようだ。


彼女は、このカフェの店員だった。

もう、ここにはいないはずの。

カフェラテが運ばれてきて、タブレットを開くと仕事の整理をし始めた。カップと皿のこすれる音。店の奥から聴こえるかすかな話し声。誰かの咳払い。カバンから本を取り出す音。キーを叩く小さなタッチ音。

あらゆるものたちがほんの少しずつ身じろぎをし、僕を包みこむ。一人のようで一人じゃない、そんな心地良さに雨音が加わり出した。どうやら夕立になるらしい。

彼女が目の前に座る間柄になるまで、そう時間はかからなかった。僕はアイスコーヒーかカフェラテ、彼女はいつもメロンソーダを頼む。子供みたいでしょ、といいながら、目を輝かせて透き通るグリーンをかき混ぜて飲む瞬間、必ず僕と目が合い細める。何気ない一つ一つの仕草、声、表情。今でもふとした時、鮮明に思い出す。


僕の中で、それらが飲み込めずクシャクシャに丸まっている。吐き出したいのに、吐き出せない。喉の奥の方で何かが詰まっていて、苦しくて、苦しくて、どうにもできなくて、逃げ出したくなる。いっそ、すべて捨ててしまうことができたのなら。


いつの間にか雨は止み、人々の足取りも軽くなったかのようだ。向かいの席に日差しが差し込み、景色を夕焼け色に染めていく。まるで束の間、彼女があの世から舞い降りてきたかのようで。見惚れた刹那、店の灯りが付いて、街は一瞬で夜に切り替わった。



あの部屋はあまりに彼女で溢れているから。

僕は毎日、こうして寄り道をする。


電気がついたのを合図に、店員がディナーメニューを持ってやってきた。彼女に似た声を待つ彼女。歳はいくぶん下だろうか。背はずっと低いし、何よりショートで茶色い髪、全然違う。白い肌と大きな黒い瞳は、多少似ているだろうか。僕があんまりじっと見ていたせいか、彼女は恥ずかしそうに俯いてしまった。

「ご注文はいかがなさいますか」





(1049字)


🔻のこちらの企画に参加しました。始めと終わりのセリフが決まってるストーリーっておもしろい✨




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