ほんとうは音に包まれて眠りたい
職場では子どもたちのわーわー言う声と、授業をする先生たちの声、鳴り止まない電話の呼び出し音。
唸り続けるコピー機の、紙を排出する音。
これらに囲まれ続けて耳が疲れ果ててしまう。
通勤電車のなかでは、電車が線路の上を通る音、ホームに滑り込んで駅の音。それから発車ベル。
道では車の音、それから自転車やバイクの音。
以前も書いたが、絶対音感の耳は、色々な音を時に言葉として捉えてしまうのだ。
イヤホンで音楽を聴くのもやめてしまった。時々訪れる街の中の静寂に気づきたいから。
そしてほんとうは好きな音楽。
美しいパユのフルート。
ブランデンブルク協奏曲
バッハのマタイ受難曲。
五嶋みどりさんのチャイコン。
フランクのヴァイオリンソナタ。
フォーレのレクイエム。
モーツァルトのレクイエム。
疲れた耳が再生していくのを感じる。
それなのに時々何も聴きたくなくなるのは
なぜだろう。
無音がずっと続いたらどうなるだろうと想像してしまう。
音のない世界。
想像すると、それはまた不自然で恐ろしい世界なのかもしれない。
だから時々で良い。
少しの間無音の空間を漂って、それからどこからか聴こえる曲の方向に寄せて、包まれて眠れたらきっと幸せだろうと思う。
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