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市川沙央さんの『ハンチバック』にみる当事者性の峻烈さは当事者ならでは。

自分が壊れてしまうかと思うほどの衝撃本。

いきなりのHTMLで始まるところから、え?これ私セレクト間違えてる?
となります。芥川賞だよね?あれ?と。
ある方がオーディブルで聴いていたら、慌てて音漏れしていないか確認しまくったとか。
主人公の体は、右肺を押しつぶすほどの湾曲。歩くこともできなくなっています。
しかし、妊娠して中絶してみたい、という願望が大きくなります。
自分の両親が娘のためにのこしたグループホームの一室。ありあまる資産をもてあますくらいの状態。そして…

生殺与奪の権を、他者がずっと握っているような状況下で望む自分の性への気もち。
そのなかでわかるのは、いわゆる健常者目線がどれだけ傲慢で、一方的なものかということ。
学びたい、本を読みたい、ページをめくらねばならない、1人ではめくれない。電子書籍ならできるが電子書籍化されていないもののほうが(特に学びにおいては)多い。
作者の市川さんの使う言葉は、その意味においてとても厳格でもあり、また意味をしっかり考え抜いたうえで使われているという印象を受けます。

物語の最後はまた、え?という展開になります。
そこに意味を見出すとするならば、どこかで円環構造が起きているのか、命というものに向き合うってどういうことなのか?ということでしょうか。
しかし、この終わり方によって読者は、結末を知る喜びではなく、また課題をもらった気持ちを味わうことでしょう。

市川さんは芥川受賞のインタビューで「怒りをこめて書いた」旨をのべておられます。なるほどと思わされるスピーチです。
この本を読むまでは「当事者性」ということに関して「当事者じゃないと書けないのか?」と漠然と考えていました。が、しかしそんなものではありませんでした。
今この本は、kindleUnlimitedに入っています。ご興味がおありになったら、ぜひお読みになることをお勧めいたします。読む際は周りの環境もちょっと気を付けるとよいかも・・・(満員電車で肩越しに読まれたりしないほうが…)



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