生きる積極性を増すために
前回「生への執着が希薄」という感覚について書いたら、とても共感するというメッセージが来て嬉しくなった。
いつ死んでもいいと言うと、
「何か困ったことがあるんじゃないか」
「そんなにつらいことがあったんだ」
と思われやすいのだが、そういうことでもないのだ。
生への執着のなさ=不幸とは限らない。
そして、幸せである=悩みがない、とも限らない。
「幸せだ」と言うと、
「いいわねえ好きなことを仕事にできて」
「いいわねえ旦那さんがやさしくて」
などと言われることが多い。
もちろんそれも間違ってはいないのだが、
幸せという言葉の背景にある座標がちょっと異なる。
幸せを分類すると
・生存に関するもの(ご飯が食べられる、健康である)
・環境に関するものの(人間関係にストレスがない、安全な家がある)
などのほかに、
・自分の人生に手ごたえがあるか
という要素があると思っている。
手ごたえはどんな感覚なのかというと、主に
自分の視点を持ち、問いを立て、取り組んで体感し、発見していくときの感触だ。
例えば、私は数秘術や色彩心理、タロットなどをやっているが
学び始めたきっかけは、自分のことを知りたいという思いと「人類に共通するエンタメスイッチを押したい」という気持ちからだった。
人には共通する感情や心理がある
↓
全人類が「楽しい」「感動する」というスイッチを押して、同時に幸せを感じる瞬間を生み出せたらすごい
↓
人類に共通するものってなんだろう?
↓
色、数、形はどの世界にもあるから学んでみよう
みたいな感じ。
人類の共通項を知りたいという気持ちから始まり、その後は美やアート、ものづくり、言葉などに関心が広がって今に至る。
本を読んだり、ものを作ったり、人と話したり、不思議な体験があったりするごとに「あの問いはここにつながるのか!」という発見があるのが楽しい。
ここで生の執着に話を戻すが、
今の探求が今世で終わらないかもしれないから執着がないのか、
実現できると思ってないから執着がないのか、
どちらなんだろうなとふと思った。
「一週間後に全人類に共通するエンタメスイッチを押せるよ」という段階になったら、もちろんそれまでは生きていたいと思うはずだ。
小さな実現を、ちょっと先の未来に置くことが
もしかしたら生きる積極性を増すのかもしれない。
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