大きくなっても
子供が小さい頃、よくお世話になった子育てグッズのうちのひとつが鼻水吸い取り器。
正式名称は分からないけど、小さいプラスチックの容器から2本チューブが出ていて、一つは嫌がる子供の鼻穴に、もう一つは私が口にくわえて思いっきり吸い込むと、容器に鼻水が吸い込まれる仕組み。
まだうまく鼻をかめない子供、鼻水や鼻詰まりで機嫌のわるい子供も、鼻がスースー通るようになると、やっと寝てくれたり、なんてことも多く、とてもとてもお世話になった。
そもそも機嫌のわるい子供をだましだまし、時には押さえつけて鼻にチューブをあてるのは大変。
さらに吸い込み過ぎると容器を通り越して、こちらのチューブにまで、時には私の口の中にまでどろんとした鼻水が入り込んできてしまうことも。
そういう時は、決まって、こちらもカゼをひいた。
鼻水の中のカゼ菌含有量がいかに多いか、身を以て実感していた。
その後何年も経って、コロナ禍の時。
私はひとつのエッセイを読んだ。
5歳くらいの男の子の父親でもあるその人が書いていたのは、鼻くその話。
息子が鼻くそを食べるのを止めようとする自分自身への、あるいはこのコロナ禍への、一瞬の気持ちが描かれていた。
子供だもん、男の子だもん、鼻くそくらい食うよなあ、っていう気持ちと、でも、感染予防のためにはそれを止めなければ、みたいな気持ちと。
そこに描かれていた一瞬の気持ちが、何だかとても、私は好きだった。
教育に関して、子供にだって権利が、個性がとか、一人の対等の人間として、とかそういう言い方もあるけれど、そういうのは行き過ぎるのもよくない気がして、私はあんまり好きじゃない。
でも、自分だって子供だった、自分だって鼻くそをほじって食べてたことがあった、ってそんなことを忘れないで子供と向き合うこと、子供を見つめることは、とっても素敵な、かっこいいことに、私には思える。
どんなに年を重ねても、先輩とか親とか上司とか言われるような立場になったとしても、自分は決して一足飛びにここに至ったわけではないこと、黒歴史だってたくさんたくさんあること、そんなことを忘れずに、人と接していけることは、私のひとつの、憧れだ。
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