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母と娘について思うこと〜「母という呪縛 娘という牢獄」を読んで

およそ近しい関係になれば、多かれ少なかれ、相手に気を遣ったり、義務感や息苦しさを感じたり、果ては自由になりたいなあとか思ったり、そんなことがあると思う。

その中でもひときわ、母と娘というのは厄介な気がする。

それは、私が母親との関係にずっと悩まされてきたから、というだけでもない、父と息子のように、一回相手を殴ったらお互い目覚めてめでたしめでたし、みたいな解決法は存在しないような気がしているから。

母と娘は殴り合ったところで多分分かり合えない。

殺るか殺られるか。
こじれたら、そこまで行くしかないのが、女同士である母と娘、な気がする。

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この本は、医学部を九浪した末、実の母親を殺害して逮捕された娘と、ジャーナリストである著者との手紙のやり取りを通じて、なぜ彼女は母親を殺さなければならなかったのか、どんなふうに彼女は母親のもとで生きてきたのか、が克明に描かれている。

母親の狂気とも呼べる言動の数々、それを長年に渡り、たった一人で受け止めていた彼女のことを思うと胸が押し潰されそうになる。

自立しよう、母親から離れよう、と自己を見つめ直し、寮のある会社の面接を受けたり、あるいは家出という強硬手段を取るなど行動に移しても、結局は、母親のもとに絡め取られる。
彼女の声は届かない。母親と真に分かり合えることはない。彼女のその絶望感たるや。

彼女が最初に大学受験に失敗した時、怒り狂った母親は信じられないような提案をする。
「京大に受かったことにする」
祖母への体裁を保つために。
祖母への電話で合格したよ、と言わせる。
京大に連れて行き、写真を撮って祖母に送る。

...大学受験の失敗。一番つらくて恥ずかしい思いをしているのは彼女なのに、自らの見栄や祖母への体裁作りのために、嘘をつかせて写真を撮る。

これが、彼女に対する魂の殺人でなくてなんなのか。

彼女は確かに母親を殺害した。
それは今の日本では紛れもなく罪だ。

でも、肉体の殺人と、魂の殺人と。
肉体の殺人のほうが重罪だと、本当にそう言い切れるのか、とさえ思う。

彼女は母親の肉体を殺害する遥か以前から、母親によって、魂を殺され続けていた。

もし、魂の殺人が重罪として、どこかで裁けるものであったとしたら、彼女の母親こそが逮捕され、裁かれるべき存在だったと思う。


ここ何年かは、毒親、という言葉が一人歩きしている、と感じることもある。
人生がうまくいかないこと全てを、親のせいにするのはおかしい、そんな考えも当然あるだろう。

でも。
お母さんはあなたのためを思ってやってたのよ、とか、一人親で大変な中、あなたを育てたのよ、とか、そりゃあ親だって完全じゃないんだから、許してあげなさいよ、とか、そんな綺麗事だけでは決して救われない気持ちっていうのがあって、魂の殺人、っていうのはそういうものを含んでいる。

過去にいろいろあったかもしれません、でも今のあなたがこうしているのはお母さんがあなたを産んでくれたから、そこに感謝してみてはどうですか?もうお母さんも高齢ですし
...上っ面の感謝だけで済むのであればこんなに長年苦労しないんです。
そもそもどうして、高齢の母親に優しくするのが正しいと、美徳だとそういう価値観を押し付けられなければいけないんですか?子供時代、どういう育てられ方をしたかに関わらず、どんなに私の心が傷付けられたかに関わらず、なぜ年老いた、というだけで一律に親孝行が求められるのですか?

その答えは私の中でまだ出ていない。

私が大人になって、つまりもっと心を成長させて、母親を愛で包めばいいのだ、とも思う。

何年か前から、母親と接する時、私はただのボランティアなのだ、と思うように心がけている。
高齢の独居老人を訪問するボランティア。

母親だから、と思えば腹の立つことの数々も、ただの独居老人と思えばやり過ごせたりする。

母親だから分かってほしい、というのは期待かもしれなくて、こうであってくれればいいのに、というのも依存なのかもしれなかった。

そんな期待や依存を手放すために、私は娘ではなく、ボランティア、という衣類を纏う。
ボランティア、であれば、別にどうということもない。
今この時をただ、仕事としてやり過ごすだけでいい。
それはある意味とてもラクだ。

自分の考えを変えてラクになったり、でもやっぱり重荷に思ったり、ああ、早く解放されたい、ともしょっちゅう思う。

そんなろくでもないことを思う自分のことを、いつか身悶えするくらいに恥じる日が来るのか、今の私には分からない。

でも、ひとつ分かるのは、肉体を傷付けることと、魂を傷付けることと、どちらが重罪か、そんなことは宇宙は当然分かっているはずだということ。

魂を傷付けられても、それでもより大きな愛を持って母親を愛せますか?

母親との関係に悩む娘は、そんな難題を背負って、この地球にやってきたのかもしれない。

めちゃくちゃ難易度高くないですか?
これ、クリアして宇宙に還ったら、特別手当もらったり、二段階昇級とか、それくらいのすごさですよね?

そう思ってやっていく。


ろくでもない気持ちは、そのまんま、持ってていいと思う。

そういうのに蓋をして、上辺だけ感謝しようとしてもうまくいかない。

「母の呪縛から逃れたい」
彼女は言った。

それは今の私の、母親が重荷だ、母親が死んだらどんなに私はラクになるだろう、解放されたい、そんな気持ちと重なる。

殺しちゃうかも、って思ったことも何度もある。
殺せばいいのか、って思ったことも。

でも、殺せばいいのか、って思った気持ちをずーっと見つめていったら、分かったことがあった。
私が真に望んでいるのは、母親から解放されたい、ということであって、殺したい、ということではなかった。
つまり、私の心の中で、母親を重荷に思わなくなるのであれば、解放された、という安心感を抱けるのであれば、私にとって、母親が生きていようが死んでいようがどっちでもよいのだ、と分かった。

ああ、自分の気持ちをしっかり見つめてよかった、と思った。

だって、本当に私の心が望むことは、殺す、だけじゃ手に入らなかったんだもん。
逆に、殺さなくても、私の心ひとつで、望むものが手に入るんだもん。

だから、どんなにろくでもない気持ちも、まずは自分自身で認めてあげて、見つめてあげるのがいい。

コンプラとかポリコレとか、過剰なくらいの世の中で、自分自身の中の気持ちにさえ、こんなこと考えちゃいけないんじゃ、みたいに思わされてる気がする。

でも、何を感じようが、何を考えようがいいんです。

心の中は自由だから。

自分の心を守れるのも、自分だけだから。

彼女は言う。
「今の私は、幼い頃から叩き込まれた教養や厳しかった躾に助けられております」

私は、今、彼女の魂が癒やされること、救われることを祈る。

彼女の魂が癒やされることは、彼女と同じような傷を持つ魂たちの癒やしにもなるから。

私も含めて。

みんなで癒やし合っていければいい、そんなふうに思う。




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