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オーケストラにMCは必要?

フリーアナウンサーの広末リサです。
突然ですが皆さん、オーケストラの演奏会にMCは必要だと思いますか?

今まで私が担当していた様々なイベント、式典、パーティー等はどれも、司会者が言葉を発して、それに伴ってプログラムが進んでいきました。
周りの方もそれをよくわかっていて「司会者さんがいないと会が始まらない!!」と仰っていました。

司会は「会を司る」と書きます。文字通り進行役ということですよね。

多くのパーティーではMCの言葉のすぐ後に滞りなくイベント事が始まるのが良しとされ、できるだけ間を開けないようにすることにMC魂を発揮します。

つまりこういった場では、司会が必要とされているということです。

ですがオーケストラの演奏会だとどうでしょうか。

今まで私が観客として見に行った演奏会では、MCが入っているものはなく曲と曲の間に数分の間があることも多かったです。

先ほどのようなイベントMCの立場から考えると、その間は何か話さないと観客が飽きてしまうのでは!なんて思ってしまいます。

先日、川崎市民交響楽団の創立70周年記念演奏会で司会を依頼された時の出来事から、オーケストラでのMCの役割について気づいたこと、考えたことを記事にしました。

演奏会でのMCの役割って何だろう?

今回オーケストラのMCに入ることになった際に、「MCの曲紹介のすぐ後に演奏が始まらなくても全く問題がないから喋る尺の長さは気にしなくていいよ」と主催者との打合せで言われました。

それを聞いて私は「え?せっかくMCが入るんだから間をあけない方がよいいのでは?」と思ってしまいました。

ですが、その考え方はオーケストラの演奏会には通用しないと、リハーサルの際にすぐにわかりました。

なぜなら、演奏を始めるタイミングは指揮者が決めるから。

MCの曲紹介の後に、すぐに演奏を始める必要などなく、指揮者はしっかりと自分でタイミングを見定めて指揮棒を振ります。

最初の質問の「オーケストラの演奏会にMCは必要?」に対してですが私の見解では必ずしもいなくても良いという意味でノーです。
MCがいなくても指揮者によって演奏は進められるからです。

ということは、会を司る=進行役としてのMCの役割はどこにいったのでしょうか。
MCはそもそも何のために入るのでしょうか。
私がMCとして呼ばれている意味は何だろう?


そんな疑問が湧いてきました。

ですが、呼んでいただいた以上、私に提供できるものを見出さなくてはならないと思いました。

進行役が自分一人だと思わない

先ほど疑問に湧いた”進行役としてのMCの役割”についてです。
MCが「次の曲は◯◯です、どうぞお聴きください」と言ってもすぐに指揮者は演奏を始めるわけではありません。

指揮者は団員の状況を事細かく把握し、全てのパートが準備万端か?という確認をします。楽器によっては、次の曲を始める前にチューニングが必要な場合もあり、団員と時にはアイコンタクトをして、状況確認もしているのです。
少しの音でも演奏に影響することがあるため、場合によっては会場の空調の音や観客の様子まで察知することもあるのだとか。

その状況が全て整ったのを確認して、やっと指揮棒を振るのです。

このことを踏まえると、進行役は自分一人ではなく、指揮者と共に進行していく、むしろ指揮者の進め方に自分が合わせていく方が正しいかなと思いました。

その事に気づいてからは自分の役割がしっかりと腑に落ちた気がしました。
司会は指揮者と共に会を進める伴奏者となれば良い。これが私の答えです。

そのうえで特に意識したことは指揮者の動きを注意深く観察することです。
指揮者と司会者の間で打合せをしている時間はほとんどないうえ、細かな動きは当日の指揮者の気分によることもあるからです。

本番は、後半になるにつれ指揮者との入れ替わりの際にアイコンタクトが取れるようになっていたので、思い描いていた”共に進行する伴奏者”に近いものがあったかと自分では思っています。

今回の演奏会でのMCの役割

今回の演奏会で私が担当したのは、曲紹介と指揮者やコンサートマスターなどの主要人物へのインタビューでした。
なかでも曲紹介は、次に演奏される曲への期待感を高めたり、前に演奏された曲の余韻に浸るために重要だと思い、その際の声の”音”を特に意識しました。

例えば「威風堂々」ならば重厚感のある曲調のため、曲紹介も落ち着いた厚みのある声でゆっくりと。

「魔法使いの弟子」は、ディズニー映画で映像化されている物語をイメージし、明るめの声でわくわくするような期待感を持たせるよう意識しました。

ボイストレーニングを受けていた際、声は身体を楽器のようにして発声するのだと習いました。
それならば、声もオーケストラの中で一つの楽器としての機能を果たせるのではないかと思ったのです。

私も”声”という楽器を使って、演奏会を構成する一つの要素になれるのかもしれない。そこに、オーケストラの演奏会にMCが入る意味を見出せたような気がします。

そう思うと、ぐっと自分の存在価値や、果たすべき役割がクリアになりました。

本番は一発勝負。

どんなイベントでも、生放送の番組でも変わりありませんが、この演奏会は指揮者にとっても、団員にとってもただその1日、その瞬間だけのものです。

MCとして絶対にそのことは心構えとして抜かしてはならないことだと思っています。

その意識が少しでも欠けた瞬間に、人は「このくらいでいいか」「なんとかなるかな」という気持ちになって、それがアウトプットされてしまうと思うのです。

指揮者も団員も、これまでにものすごい時間と労力を掛けて、いろんな困難を乗り越えてきています。川崎市民交響楽団の演奏会は年に2回。ということは最低でも半年間はそこに向けて努力を積み重ねているということです。

私はそんな皆さんの努力を想像することしかできませんが、皆さんがこれまでの練習の成果全てを、たった一度の本番に注ごうとしているのは事実です。

そんな指揮者や団員の皆さんに私も付いていくこと、できるだけ皆さんと同じくらいの熱量を持ち同じような温度感でいることがその場にいる人間としての最低限の姿なのではないかと思っています。

必要とされるMCとは

冒頭では、オーケストラにMCは必ずしも必要ではないと書きましたが、
だからこそ、MCの役割を自分自身で認識して必要とされるMCになることが重要だと思います。

演奏会後、指揮者や団員の皆さんから感謝の言葉を沢山頂き
「広末さんの声を聴くと演奏に安心して臨めました」
「インタビューでの繋ぎ方が素晴らしかったです」
「また次回以降の演奏会でも是非MCをお願いします」
等と仰っていただきました。

そのような言葉をいただいて安心したと共に、私の存在が少しでもオーケストラの役に立てたと感じ大変うれしく思いました。

オーケストラにMCはいつも必要というわけではないですが、MCに広末さんが入ればもっと良い雰囲気になる、もっと観客が楽しめる場になる。
そんな価値を提供できるアナウンサーになりたいです。

演奏会を終えて

Twitterにも書いたのですが、皆さんそれぞれが役目を果たし一つのステージが完成するというのはオーケストラならではの醍醐味だと思います。

演奏会当日には、指揮者と団員のほかにも、ステージマネージャー、会場スタッフ・楽団関係者など、多くの方達が関わっています。
ステージ上の皆さんがそれぞれのパートで役割を全うすることはもちろん、バックステージの方達も皆、演奏会の成功を願って最善を尽くしていらっしゃいました。

大切なことは、皆が同じ方向を向いて一つのステージを創り上げるということ。
そんな中で、MCが担うべき役割や意識の持ち方を学び取れたのではないかと思います。

今回私が見ることができたのは、きっとそんなオーケストラの世界のほんの一部に過ぎません。まだまだオーケストラやクラシック音楽について学びを深めるべき部分は沢山あると思いますが、この学びを次にも活かしていけそうです。

今回、素晴らしい機会をくださったオーケストラの皆さんに感謝いたします。
最後までお読みいただきありがとうございました。

執筆協力:川崎市民交響楽団 実行委員の皆様

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