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寄り添い力が高いこどもたち

先日、息子が通う保育園でとあるトラブルが起こった瞬間に遭遇した。

といってもよくある子供同士のトラブルである。
参加人数が限られるゲームをやるにあたり、参加希望者が殺到。じゃんけんをして参加者が選抜されたものの、負けて参加できなかった年少の子がそのことにどうしても納得がいかず、無理矢理ゲームに参加。それを見た年長の子が、少し強めの口調で「だめだよ、○○ちゃん!負けたんだから入れないよ!」と勢い余って突き飛ばす。
尻餅をついた○○ちゃんは、火がついたように泣き出したのだった。

たまたまお迎えの時間に目の前で繰り広げられたこのトラブルに、うちの息子は絡んでいなかったわけだが、ふと気になったので家に帰って尋ねてみた。

「もし息子くんがあの場にいて、ゲームに参加していたら、○○ちゃんに対してなんて言った?」

これは大人でもなかなか難しい問題である。

息子が年長であることを踏まえると、「じゃあぼくが我慢するから、○○ちゃんやりなよ」と譲ることが推奨されるのだろうか?
いや、それはどうだろう。
じゃんけんという正当な手続きを経て得た参加権を、いくら年長であるからといって我慢して譲らなければならないのか?
それは所謂「ごね得」ではないか。よろしくない。

じゃあ、「○○ちゃんはじゃんけんに負けたんだから、入れないんだよ」と諭す?
正論である。火に油を注ぐには十分なる圧倒的な正論。ますます泣きわめくこと必至だ。

さあどうする、息子よ?
彼はしばし逡巡したあと、しっかりと私を見据えて、こう言った。

「『○○ちゃんもやりたかったんだよねー』って言うー」

・・・・・・なんと。寄り添えるのか、君は。
満点である。

だいたいにおいてこういう場合、泣いている本人だって無茶を言っていることはわかっている。
わかっているけど、気持ちの整理がつかないのだ。
だから、その気持ちを汲む。肩でもぽんぽんとたたきながら、「あなたもやりたかったんだよね、わかるよ」と寄り添う。
そうすることで、参加は叶わないけど、自分の気持ちが報われる。現実と折り合いをつける力になる。
だからこの場合は、一聴して何の建設的な結果ももたらさなそうな「やりたかったんだね」という共感の言葉が、実は最適解なのだ。

とはいえ、これは別にうちの息子が特段大人びているからとか、私が心理カウンセリングの英才教育をしているからという話ではない。
世の保護者の皆さん、こんな風に、最近の子供の「寄り添いスキル」ってすごいな、って感じることありませんか?

それはひとえに、そういう教育をしてくださっているからだと、私は思っている。

保育園の先生との面談で、先生方がこういう寄り添い的声掛けをよくしていることを聞いているのだ。
○○くんと息子くんがおもちゃの取り合いになって、じゃんけんをして息子くんが負けてしまったんですがなかなか切り替えられなくて。悔しかったねー、って声をかけました、とか。
私が子供だった頃は、そんな場面では先生が、「○○くん、早く息子くんに貸してあげてよ」と譲ることを促していた記憶がある。
でも教育は進化している。現代の園では、少なくとも息子の通う園では、そういうことはされない。無理して譲らせない。無理して譲らせれば、それはそれで子の自尊心を損なうからだ。
だから、負けた方が、自分で気持ちに折り合いをつけて立ち直ってくれるよう支えるしかない。だから、しっかりと寄り添う。

そんな風にしてもらっていた息子が、同じようにできるようになったというだけのこと。

こういう集団が大人になったら、またいろいろと変わるんだろうなぁと思う。人類は進化するんだなぁと未来に希望が持てる。

で、最終的に何が言いたいかというと、保育士というのは最新のスキルと知識を取り入れて教育をしてくれる尊いお仕事なので、もっとお給料を上げて欲しいのよ、ということです。

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