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「好き」をさぐる③:「好き」は「幸せ」の源

「好き」をさぐる。第三弾です。

なぜ「好き」に着目しているのか。
一つの理由は、「好き」という気持ちが「幸せ」という感情を生むのではないかと最近考えているからです。

幸せとは何か、をぼんやり考えることがあります。
美味しいごはんを一人で味わう時に得られるのは「喜び」で、誰かといっしょに味わう時に得られるのは「幸せ」。「幸せは、誰かと共有することで初めて得られるものである」というのが少し前の仮説でした。

でも最近2つのことに気がついて、考えがちょっと変わりました。

1つ目の気づきは、人と時間を共有しているときの「楽しさ」と「幸福度」が一致しないということです。
ある友人達とワイワイ楽しんだ時間を、確かに「楽しかった」のだけれども、「幸せだった」とは振り返っていないことがありました。
一方で、人と一緒に過ごしていながら何も話していない時間、特段大きい笑いがなかった時間を、「幸せだなあ」と感じている自分がいました。

2つ目の気づきは、人との共有がない場面でも、「幸せ」を感じることがあるということです。
私がたった一人で「幸せ」を感じたのは、代官山の蔦屋書店です。
デザインや旅行の本であふれている蔦屋書店にはよく一人で行ってしまうのですが、滞在中にふと「幸せだ…」という気持ちが生じました。

この2つの気づきから、「幸せ」と関係しているのは「愛」なのでは?と考えるようになりました。
「楽しい」「うれしい」とは言い切れないのになぜか「幸せ」を感じてしまった時間は、私が大好きな人達と過ごした時間でした。
たった一人なのになぜか「幸せ」を感じてしまった時間は、私が大好きな空間で過ごした時間でした。

「大好きです」と感じることによって、人の心は満ち足り、「幸せ」が得られるのではないか。これが最近の仮説です。

幸せは、お金では得られないとよく言います。確かに多くの人にとってはそうかもしれません。
でもお金が大好きで、金銭的に豊かな自分を心から愛せる人にとっては、お金というものが幸せの源になるのだと思います。

そして私自身が愛しているのは、
例えばデンマークやSpotify、
おしゃれだけど気取らない空間、
誰かと音楽を楽しむこと、
何より、私のまわりの大事な人たち。

こんなもの・こと・ひとを「好きだなあ」と実感しているとき、私はとても「幸せ」です。

どうでしょうか、この仮説。
いくらか正しいのであれば、誰かを幸せな気持ちにするためにも、愛されるものを作り出せる人になりたいなと思います。

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