利他の事例その1

前回の自己紹介記事で、noteで「利他を発信する」と書きました。私は利他を行う人を増やしたいと思っています。なぜなら、行った人は幸せになり、幸せな人が増えると、社会・未来が明るくなると思っているからです。

幸せは誰もが求めるものですが、現実には求めても幸せになれない人もいます。それは求め方が間違っているからです。

私は自分の周りにいる人をよく観察しました。すると、見えてきたものがありました。自らの幸せを追求して行動している人より、他人の幸せを願う行動をしている人に、幸せを感じている人が多いのです。

すなわち、利他を行っている人です。人の喜びを自らの喜びにしている人です。こういう人は、人から愛されやすいです。愛されるだけでなく、協力を得られたり、信頼を得られているように見えます。

反対に、自己の幸せだけを追求している人は、利己的と受け止められるのか、愛されているとも、協力を得られているとも感じられないのです。

なぜ私がそのように感じるのか、それは、私が今後発信する記事を読み進んで下されば、きっとご理解して頂けると思います。

これからのnote記事に、具体的な利他の事例を掲載していきます。今日はその第一弾です。質問形式にしていますので、皆さんも一緒に考えてみてください。

私は私なりの答を提示しますが、私の答だけが正しいとは思っていません。利他をどう考えるかという質問ですから、考え方は人それぞれであっていいのです。私の答より、もっと素晴らしい答が出るのを楽しみしています。

今回の利他の事例は、私の著書『利他の功し』に記載した事例です。

事例その1.あなたは男子中学生です。運動クラブの練習が終わって、友達と帰宅途中に、おなかがすいて何か食べたいと思っています。その時、焼き芋を売っている軽トラックを見つけ、焼き芋を買ったとします。友達もおなかをすかせています。でも、友達はお金の持ち合わせがないので、買いたくても買えなかったのです。あなたは分けてあげようと思って、買った焼き芋を割りました。その焼き芋は半分にならず、6対4の割合になったのです。その時、あなたはどちらを友達にあげますか?考えてみてください。

答は、大きく分けて3つあります。①6の大きい方をあげる。②4の小さい方をあげる。③その他の考え です。答には、なぜそうするのか、理由が必要です。そして、両者間で交わされるであろう会話や、その後の展開も予想して考えてみてください。

この質問に対する答で、あなたの利他度がわかります。利他度とは、利他を理解している度合いです。利他とは、文字通り、他者に利益をもたらすことです。わかりやすくいいますと、他者を喜ばせることです。

なぜ私が利他を推奨するかと言いますと、何度も言いますが、それは利他の行為をしていきますと、その行った人が幸せになれるからです。その意味するところを、皆さんにつかんで頂きたいと願っています。

あなたは友達が多い方でしょうか?それとも少ない方でしょうか?

あなたは親友がいますか?仮にいないとして、親友を欲しいと思いますか?もし、欲しいと思いながら、親友ができないとしたら、親友の作り方を知らないからではないでしょうか?

実は、この事例の質問に対する答によって、あなたに友達が多いかどうかや、親友がいるかどうかも大体わかります。

私は、親友を持ちたくても持てていない人に、親友の作り方を教えてあげたいと思っています。

では、親友とはどういう関係になれば親友と呼べるのでしょうか?

親友の定義ですが、個々人、その定義は異なるかもしれません。ここに、私が考える親友の定義を5つ書きだします。

①互いに相手のことを心から信頼しあえる関係

②誰にも知られたくない自分の心の中を、互いに見せることができる関係

③何かあれば、互いにどんな状況でも必ず助け合うことのできる関係

④互いに相手のことを優先しあえる関係

⑤互いに自己犠牲を伴っても相手のことを考えられる関係

といったところでしょうか。ここで大事なことは、互いにということです。互いにそうできるから親友になるのです。

では、一方的に①~⑤の行動ができるとしたらどうでしょうか?その人は、愛されると思いませんか?私なら、愛してしまいます。心から、いいやつだなと思います。

特に、⑤の「自己犠牲を伴っても」というのが、親友を作るためのキーワードで、これができれば、必ず親友はできます。そのためには、まず自ら行うことです。人にしてもらうことを待っていては、親友はいつまでたってもできません。自らやることが大事なのです。

相手のことを思って、自己犠牲を伴っても行う行為こそが、利他度の非常に高い行為となります。自己犠牲を伴う行為というのは、感動を呼ぶのです。その感動が大きければ大きいほど、人から信頼されるようになります。

親友のできていない人は、相手を大きく感動させるような自己犠牲を伴った行為をしたことがないのではないかと思うのです。

この自己犠牲を伴う感動を呼ぶ行為に、どのような行為が当たるのかについては、おいおい紹介していきます。相手のことを思って行う感動を呼ぶ行為利他の行いなのです。小さな感動なら利他度は低いでしょうが、大きな感動なら利他度は高いということになります。

利他度の程度は別にして、利他の行いの多い人ほど、友達の数は多いように感じます。なぜなら、人から好かれるからです。

このように考えますと、自分が利他の行いができているか、垣間見ることができると思います。そして利他の行いとは何か、少し見えてきたのではないでしょうか?

ということで、事例その1.の答が出ましたでしょうか?私の答を述べていきます。

焼き芋の大きさですが、4の方をあげようが、6の方をあげようが、どちらも利他の行為に間違いありません。友達もおなかをすかせているのですから、分けてあげようとする行為は、人に対する優しさがないとできません。

でも、同じあげる行為なのに、後の効果が違うように思えます。それはどういうことかと言いますと、もし、6の方をあげたなら、もらった相手はどのように感じるでしょう。「お金の持ち合わせがなく、焼き芋を買えなかった自分に、こいつは大きい方をくれた。なんていい奴なんだ。」と思いませんか?

そして、こう言うと思うのです。「俺は焼き芋を俺に分けてくれたお前の気持ちがとてもうれしいよ。お前が買った焼き芋だから、大きい方をもらうわけにはいかないよ。小さい方と交換してくれよ。」と。

そう言われたら、素直に交換して一緒に食べればいいでしょう。そこには感動が生まれていると思うのです。お互いに気持ち良く、笑いながら食べる姿を想像できます。

また、同じようにおなかをすかせてその友達と一緒に帰るときがあって、今度反対にあなたがお金の持ち合わせがなく、友達がお金を持っていて、焼き芋を買ったとしたら、友達はあなたに大きい方をくれるか、あるいは二つ買ってその一つをくれると思います。こういうことが互いにできるようになって、友達から親友になっていくのだと思いませんか?

仮に、6の方をあげて、6の方を友達が「ありがとう」と言って食べたとしても、それはそれで構いません。あなたの行為自体は、利他度の高い行為ですから、見る人が見たら、あなたのことをいい人だと評価することでしょう。

私があなたの親なら、あなたの行為をとてもうれしく思いますし、とてもほめると思います。焼き芋が10本買えるぐらいの小遣いをその場であげちゃうでしょうね。

6の方をもらってそのまま食べた友達なら、おそらくこの友達との関係は、親友にまでは発展しないと思います。この友達は親友を作るすべを知らないからです。互いに利他の行いにならないと、親友にはなれないと思います。

中学生や高校生は、利他という言葉は知らないか、なじみがないかもしれません。知らなくても、その行為が利他になっていれば、親友ができる確率は高いと思います。でも、知ってもらった方がずっと親友を持てる確率は高まります。

このことを、特に中高生に伝えていきたいと心から思っています。新型コロナが終息したら、手弁当でも講演をさせてもらいたいと思っています。

利他の行為をしたら、された方もうれしくなるでしょうし、仮にされた人が感動しなくても、周りが感動して、思いもよらないご褒美(ほうび)があるかもしれません。

でも、ほめられることやご褒美を期待してする行為は、利他度が低くなります。なぜなら、そこには下心があるからです。反対給付を求めることなく、自然体でできるようになることが大事で、そうなれたら、多くの人から愛される人になれます。

では、4の方をあげたときはどうかと言いますと、「ありがとう」という言葉は返ってくるでしょう。でも、感動は6に比べてかなり小さくなります。

6ー4で、たった2だけしか違わないのに、感動が随分と小さくなるのです。この場合、友達関係は続いても、親友にはなれないと思います。

では、この焼き芋を意識的に8:2に分けて、2を友達にあげたらどうなると思いますか?友達は、ありがとうと言うでしょうが、心の中では、「なんてケチなやつなんだ」と思うかもしれません。せっかく分けてあげてもこれでは逆効果です。友達関係は壊れていきます。

また、焼き芋を分けてあげることもせず、自分だけが食べた場合、友達は先に帰ってしまうでしょうね。そして、二度と一緒にあなたと帰ることはしなくなると思います。

どうでしょうか?これが私の答えですが、利他とは何かをわかりやすく説明するため、極論的な答え方をしていますが、人の心理を描写しています。

自分が中学生の時、どうだったかなと思い起こされてもいいかと思います。親友をお持ちの方なら、こういう経験をされたことがあるのではないでしょうか?

反対に、親友をお持ちでない方は、自分が人に感動を与えるような利他の行いをしたことがあるかどうかを見返ってください。自分で自分を見つめ、できていなければ、これからは利他を意識してやってみてください。

そうなのです。できていない人はできるように自分の行動パターンを変える必要がありますから、最初は意識してやらないとできないのです。やり続けていると、自然とできるようになっていきます。

利他の行為を積み重ねていきますと、不思議と人生が好転しだします。やってみればわかります。社会人になっても知らない人はたくさんいます。

ビジネスにおいても、成功を勝ち得た人に利他の心を持っている人が多いように思います。仮に、利他にかなった行為をせずして、成功してもその人の人生は精神的に満たされたものにはならないと思います。

お金を人生の価値基準にしている人も、幸せにはなりにくいと思います。若い時見えなかったものが、還暦も越えますと、見えてくるものがあるです。

どんな行為が利他なのか、利他をするにも何から始めるべきか、わからない人、早く知りたい人は『利他の功し』を読んでみてください。事例も掲載していますし、身近な利他をわかりやすく説明しています。

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この著書の緑の部分を帯と言いますが、この帯に書かれている文言は、出版社の編集者が私の原稿を何度も読んで、感じたことを言葉にしてくれたもので、こういう人に読んで頂きたいというメッセージです。

今日の記事はたいそう長くなってしまいました。最後まで読んで頂き、ありがとうございます。今後はもっと短くします。どれくらいのペースで発信できるかわかりません。noteに慣れるまでもう少し時間がかかりそうです。

最後に、利他度の高い利他の行為は美しいものです。そこには感動があるからです。そこには自己犠牲があるのです。自己犠牲があるから美しいのです。最初から誰もが利他度の高い行為ができるわけではありません。でも、できるように努力するほうがいいです。それがあなたの幸せにつながるからです。  和合実


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