利他の事例その2          小学6年生の「宮大工の跡継ぎ」    君はどのように自分の仕事を決めますか?

この記事は、小学生の方にも読んでほしいので、むずかしそうな漢字には、ひらがなを添えます。ところで、どなたかnote記事を作成時、漢字にルビを打つ方法をご存じであれば、教えて頂けるとうれしいです。

1.宮大工の棟梁の息子

小学6年生の光(ひかる)君は、先祖代々続く宮大工(みやだいく)の棟梁(とうりょう)の家系(かけい)の跡取(あとと)り息子です。お父さんで5代目となり、光君がその仕事を継いだら6代目となります。

宮大工というのは、大きなお寺や神社を建てたり、古くて有名なお寺や神社の修復工事をする特別な大工のことです。棟梁とは、宮大工を束(たば)ねる頭(かしら)、すなわち、中小企業の社長のような人のことです。

宮大工と普通の大工の違うところは、宮大工は「木組(きぐ)み」と言って、釘(くぎ)や金具(かなぐ)をほとんど使わず、木自体に切り込みを施(ほどこ)し、はめ合せて木と木をしっかりと組み上げる、日本独自の技術を使えることです。この技術を身につけるには、10年ほどの修行が必要になり、日本にもこの技術を持つ人は、100人もいないのです。

ある日の授業で、先生から、「皆さんは、将来何になりたいですか?」と言われ、ある子は野球選手、またある子は、お医者さん、飛行機のパイロット、映画監督、ユーチューバーと、自分の夢を語ります。光君は自分が何になりたいか、まだ決めかねていました。

小さい頃からお父さんの後ろ姿を見て、漠然(ばくぜん)と、「自分も宮大工の棟梁になるのかな。」と思っても、そのイメージが掴(つか)めなかったのです。小さいころから、のこぎりやカンナの使い方を教えてもらって、大工仕事は嫌(きら)いではありません。でも、それを仕事としたいとは、まだ決められませんでした。

2.母の願いとおもいやり

家に帰って、お母さんに、「先生から、将来何になりたいかと聞かれたけど、僕は答えられなかった。はっきりとこれがしたいとか、このようになりたいとか、夢がないんだ。それっておかしいこと?」と尋ねました。

お母さんは、「そんなことないよ。もっと先になってから、決めてもいいのよ。夢を実現できる人は少ないのよ。夢を叶(かな)えるには、必死になって努力しないと叶わないの。あなたが高校生になってから見つけてもいいのよ。それでも見つけられなかったら、大学生になってからでも構わないわ。じっくり考えて決めたらいいのよ、だから焦ること、まったくないからね。」と言ってくれました。

「僕、お父さんの跡を継がないとだめ?」と聞くと、お母さんは「お父さんはそう願っていると思うけど、お母さんはあなたが一番やりたいことをすればいいと思っているわ。嫌なことをやってもうまくいかないし、やりたいことを我慢して、跡取りになっても後悔することになるわ。だから、自分の気持ちを大切にして、どうするのか決めたらいいのよ。お母さんは、光のことを応援するから。」と、言ってくれました。

「わかった。気持ちが楽になったよ。お母さん、ありがとう。」と言って、光君は外に遊びに行きました。

3.光君の質問と答え

ここで質問です。光君はどうして、「跡を継がないとだめ?」と、お母さんに聞いたのでしょうか?次の3つから選んでください。

①大工仕事は嫌いではないけど、きつそうな仕事だから。
②スーツを着て、近代的なビルの中で働くほうが、格好いいとから。
③その他の考え

 お母さんは、光君が宮大工の仕事がどのようなものか、まだわかっていないから、それをいつか教えたいと思っていました。でも、なぜ今は宮大工が好きでないのか、光君に聞いてみたいと思いました。

ある日、「光、お母さんに教えてほしいことがあるの。以前、宮大工を継がなければいけないかと聞いたでしょう。光はどうして宮大工を継ごうと思えないのか、その理由を教えてくれる?」

光君は言っていいか迷っている感じです。でも、思い切って、お母さんに打ち明けました。「宮大工は、夏いくら暑くてもクーラーのないところで、冬はいくら寒くても暖房のないところで仕事をしないといけないでしょう。お父さんを見ていると、そこがしんどそうだなと思うんだ。僕は、夏はクーラーの効(き)いたところで、冬は暖房の効(き)いたところで仕事がしたいんだ。」

それを聞いてお母さんは、「くすっ」と笑いました。「お母さん、何かおかしい?」「ごめんなさい。お母さんは、光が宮大工の仕事自体を好きじゃないのかなと、勘違いしていたの。確かに、お父さんは、夏は暑いところで、冬は寒いところで仕事をしているわね。でも、それでお父さんが文句を言っているの、聞いたことある?」

「聞いたがことがない。」

4.仕事に求めるもの

「そうでしょう。どんな仕事にも、つらいことも、楽しいこともあるわ。お父さんはね。自分の仕事に誇りを持ってやっているのよ。仕事にやりがいを感じているの。だから、暑くても寒くても頑張れるのよ。クーラーがなかろうと、暖房がなかろうと、それよりもっと大事なものは、やりがいよ。やりがいのない仕事をすることの方が、ずっとつらいことよ。」と、お母さんに「やりがい」と言われても、光君にはまだその意味が掴(つか)めません。

「光には、まだ経験がないからわからないのも当然だわ。一度、お父さんの仕事現場に行ってみるといいわ。どんな気持ちで仕事をしているか、自分の目で確かめるのね。そうすれば、きっと何か気づくことがあるわ。お父さんにはお母さんが頼んであげるから、見に行ってらっしゃい。」

「わかった。そうするよ。」

お母さんは光君が悩んでいることを、お父さんに話をしました。お父さんは、それを十分理解されていました。「俺(おれ)も子供の頃は、親父(おやじ)の跡を継ごうとは思っていなかったからな。」と、子供の頃の自分を振り返っていました。

5.お父さんの仕事現場

次の土曜日の午後、お父さんが仕事をしている工事現場に、お母さんと一緒に行きました。そこは有名寺院で、広い敷地の境内(けいだい)にはいくつもお堂(どう)があって、その内の一つの建て替え工事をしているところでした。

それはとても大きなお堂で、お父さんは、金箔(きんぱく)の模様(もよう)が施(ほどこ)された天井(てんじょう)を作っているところでした。今は夏の暑い時期で、お父さんは汗だくになりながら、作業をしていました。お父さんの案内で、他の大工さんがしている作業を見せてもらいました。

どの大工さんも汗を流して、黙々(もくもく)と仕事をしています。少しの狂いもないようにと、みなさん真剣な表情でされているのがわかります。できあがり予想図を見せてもらうと、とても重厚感(じゅうこうかん)のある厳(おごそ)かな木造建築物です。光君が想像していた建物より、ずっとすばらしいものでした。

作業場から出たとき、一人のお坊さんが近づいてきました。「君が棟梁の息子さんか?君のお祖父(じい)さんにもすばらしいお堂を建ててもらったよ。向こうに見えるお堂があるだろう。あれが君のお祖父(じい)さんが建てたお堂だよ。見に行くかい?」と言って、そのお堂を案内してくれました。

6.他人の言葉の影響力

そこには大勢の人がお参りをしていました。お参りの人が、「和尚(おしょう)さん、このお堂の彫(ほ)り物は見事(みごと)だね。いつ来ても見とれてしまうよ。」と、言われました。

和尚さんは、「そうでしょう。これは歴史に残る名建築物になると思っています。これを建てたのはこの子のお祖父(じい)さんでね。今建替えをしているお堂は、この子のお父さんにやってもらっているのですよ。」

お参りの人は、「それは知らなかった。あっちのお堂のできあがるのが楽しみだ。こんなすばらしいお堂を建てる宮大工も、そうはいないからな。君はその跡取り息子か、将来は人に感動を与える建物を建てておくれよ。これほどやりがいのある仕事も、なかなかないからな。」と、笑顔でそう言われました。

その時、光君はとてもうれしくなりました。亡くなったお祖父(じい)ちゃんの建てたお堂を褒(ほ)められたからです。それにお祖父(じい)ちゃんが建てたお堂が、「歴史に残る。」と、和尚さんが言ってくれたからです。

人に感動を与えたり、歴史に残る仕事を宮大工はできるのかと思い、自分の知らなかった宮大工の一面に気づいたのです。

その日、家に帰ってから、「お母さん、僕、宮大工の仕事が好きになりそうだよ。歴史に残せる仕事ができるなら、やってみたいという気持ちが出てきたよ。日本で一番すばらしいと思う宮大工の建てた神社・仏閣(ぶっかく)はどこ?」と聞くと、お母さんは、「それはたぶん日光(にっこう)東照宮(とうしょうぐう)だと思う。」と言って、別の部屋から日光東照宮の写真を数枚持って来て、見せてくれました。

「豪華な建物だね。一度ここに行って見てみたい。」と言いますと、「わかったわ。夏休みに連れて行ってあげる。」と、言ってくれました。光君は日光東照宮のことを調べてみました。

7.日光東照宮

それは江戸幕府初代将軍の徳川家康をお祀(まつ)りした神社で、現在の栃木県日光市にあります。現在の社殿(しゃでん)は三代将軍徳川家光によって造営されたもので、55棟(とう)の建物があり、その多くが国の重要文化財になっています。

建物には漆(うるし)や色とりどりの装飾が施され、柱には多くの彫刻が飾られています。この建物は、「世界文化遺産」にも登録されています。光君はそれらのことを知り、日光東照宮に行って、自分の目でよーく見てみたいと思いました。

夏休みになり、約束どおり光君は、お父さんとお母さんに日光東照宮へ連れてもらいました。非常に多くの観光客が来ていました。表門を入ってすぐ左に「神厩舎(しんきゅうしゃ):神様につかえる馬の馬小屋」があります。

神厩舎の欄間(らんま)には、「見ざる言わざる聞かざる」という三匹の猿(さる)の彫り物が見えました。見猿(みざる)は目を塞(ふさ)ぎ、言わ猿は口を塞ぎ、聞か猿は耳を塞いでいました。これが有名な三猿(さんざる)です。

本殿(でん)に向かう途中に、日本で最も美しい門と言われる、国宝「陽明門(ようめいもん)」を見てびっくりしました。とても多くの彫刻が、びっしりとその門に組み込まれています。その彫刻は、見事としか言いようがありません。

陽明門の左右に延びる、建物(回廊(かいろう))の外壁には、とても大きな花鳥(かちょう)の彫刻が飾られ、1枚板の透(す)かし彫(ぼ)りは、色鮮(あざ)やかに塗られています。

拝殿(はいでん)で拝(おが)んだ後、江戸時代の天才彫刻職人、左甚五郎(ひだりじんごろう)作と言われる、国宝「眠り猫」を見ました。光君は、「昔の宮大工や彫刻職人はすごいな。」と、感動しています。

8.父の想い:光の名前の由来

その時、お父さんは「光、宮大工や彫刻職人や飾り職人など、多くの職人が力を合わせて作ったのが、この社殿(しゃでん)だ。すばらしいだろう。でも、今ではその宮大工も、日本に100人もいないんだ。もし、宮大工がいなくなったら、どうなると思う?日光東照宮が傷(いた)んできても、修繕することもできなくなるし、日本の伝統文化が失われることになるんだ。お父さんはな、お前の名前を『光』とした。それは、お前が宮大工として、光輝く人になってもらいたいと思って、付けた名前なんだ。日光東照宮のような、歴史のある立派な社殿を修復したり、建替え工事をしてみたいと思わないか?」

と聞かれ、「お父さん、僕もやってみたい。日本の歴史や伝統を守るため、そして、人に感動を与えられる宮大工になりたい。僕は宮大工のことが、よくわかっていなかったんだ。でもやっとわかったよ。誰からも、すごいと言われるような神社やお寺を、建ててみたいと心から思ったよ。ここに連れて来てくれて、ありがとう。」

と言うと、「よし、わかった。それでこそ、俺の息子だ。宮大工棟梁6代目だ。」と言って、にこやかな顔をしています。

9.母の涙と利他

反対に、お母さんは目を潤(うる)ませていました。悲しいからではありません。嬉(うれ)し涙です。お母さんも光君が、自分の意志で跡を継いでくれたら嬉しいと、内心は思っていたのです。

強制ではなく、光君が自らやりたいと言う日の来ることを、待っていたのです。それが思いもかけず、ここで聞けたので、嬉し涙が零(こぼ)れたのでした。

親の仕事を継がなければならないとか、継ぐのはいやだ、まだ継ぐ気になれないという人はいませんか?そんな時は、その仕事の意義をよーく考えることです。

決めることを焦る必要はありません。その仕事をじっくり観察し、見えていないところがないというほど、知ることが大事です。その上で判断すればいいと思います。

ところで、ここでの利他は何か、わかりましたか?

それは、お母さんの行動です。お母さんは、光君が自分のやりたい仕事を見つければいいと思う反面、内心は光君に、宮大工になってくれたらという思いもありました。

しかし、自分の気持ちを表には出さず、あくまで、光君の自主性を尊重されていました。もし、お母さんが、「光はこの家の跡取りだから、必ず継ぎなさい。」と言ったとしたら、光君は反発していたかもしれませんし、継いだとしても、やる気を持てなかったかもしれません。子供であっても、人格のある一人の人間として尊重する必要がります。

こういう場合に、子供に命令や強制をすることは、自分の気持ちの押し付けでしかありません。そうしなかったお母さんの行為が利他なのです。

そして、光君は、「日本の歴史や伝統を守るために」、「人に感動を与えられるような」宮大工になると言いました。光君のこの気構えも利他です。

自分のためだけではなく、世のため人のためにと思っています。これが大事なのです。この気持ちがありますと、仕事に喜びや生きがいが持てるのです。

光君には、立派な宮大工になって欲しいと思います。 和合実


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