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幸せへの道〜ヨーガ心理学で知るわたし〜⑥消えない苦しみ

自分が純粋意識であると、納得できたとしても 
私は素晴らしい存在なんだと確認できたとしても、私の心や体は長年の癖をすぐに手放す事はできませんでした。

私が完全なる光の存在だと分かったとしても、心は相変わらずぐちゃぐちゃなのです。

私の実家は、私の幼い頃から両親が、激しいケンカをしていたのですが、そのケンカが怖くて、人の表情、声色、目線、雰囲気などを読み取り、事前に阻止しようと毎回試みていました。
話題を変えるなどして、場の流れを変えたりしていました。

大人になって、その敏感さは接客や営業に大変役に立ちました。しかし、大切な人との関係となるとそうはいきません。負の感情が発動するのです。

あ、今日機嫌が悪いな。私、なんか悪いことしちゃったかな。

そんな事を感じ始めたら最後、どんどん感情が強くなり、苦しくなっていきます。

相手の不機嫌が怖い。

これはまさに両親との関係で幼い頃、顔色をうかがっていた頃の感情のの再体験となっているのです。

今の私は大人で
もう自立しています。
冷静に考えたなら、
私のせいで不機嫌かどうかなど分からないし、会社で何かあったのかもしれないし、単純に疲れているかもしれないのです。

頭でそう考えたとしても
現実の苦しみは変わらないのです。

目の前の大切な人の不機嫌に耐えられないのです。

幼い頃の感情、恐怖が蘇って苦しくなるのです。
なにかこれから恐ろしいことが起こるのではないか?と恐怖に支配されて身体が震えて動けなくなるのです。

今はこのように客観的に観れていますが、当時は何か分からないけど、ただただ怖かったのです。

そして自分の感情に耐えられなくなり、目の前の人に勇気を振り絞って聞くのです。
「何か怒ってる?私何か悪いことした?」
「え?!何も怒ってないけど」
「隠さないで言って」
「いや怒ってないし!」
と相手を怒らせてしまったりしてました。

私は目の前の人のちょっとしたネガティブなサインをきっかけに過去の痛みにスイッチが入っていたのです。

これが無意識に瞬間的に行われます。

あなたにはありますか?

では、怒りのスイッチだったら、分かりやすいでしょう。反応、反射的にカッとなってしまう事ありますよね。

そんな反射的な恐怖に長年苦しんでいました。
私が光の存在で、純粋意識だと分かったとしても、その苦しみは時折襲ってくるのです。

自分の本質は別にある事を知り、ヨーガの実践で実感する事で、自分の感情とも向き合う事ができるようになって行ったのです。

心は私ではない。
心に起こるさまざまな感情も私ではない。
悲しみや恐怖、孤独感や罪悪感が襲ってくるが、それもまた私ではない。

現象世界の私は、感情が身体に影響して、身体が緊張し、呼吸が浅くなり、胃が痛くなる。苦しくて動けない。

では、なぜ、この感情が起こるのだろうか?
もう一度、心の旅がヨーガと共に始まったのです。

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