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映画4・ビリーバーズ

山本直樹のマンガの映画化。
汚れた俗世よ、さようならー

これまたたまたま出会って鑑賞。

ヒトが作ってきた社会。
宗教はその社会に包含されていると私は考える方で
無神論者(欧米でいう意味として)ではなく
文化として宗教を捉えている。
私は入信したけれど全部を明け渡すことが結局できなかったし
そういう気持ちとの闘いこそが信じるってことなのかなとか
まぁ余計なこと考えるから向かないんだと思う。
で、名ばかり信者(しかも付き合いとかでも入ってたり)。

そういうわけで、「ビリーバーズ」。

孤島でのんびり信仰生活。
信仰生活だから別にダラダラしてるわけでもなさそう。
やることは全部決まっているんだろう。
そこに3人って奇数だもん、そりゃ、あれこれバランスが。
というのを、どす黒く爽やかに鮮やかに描いていく。

青い空と海がなかったらバランスが取れない。
自然は偉大だな・・・。

原作を読みたくなったのはもちろんのこと、
「1Q84」(村上春樹)を最近うっかり読んでしまったのもあって
狂信者系が続いちゃってるのでインターバル欲しい。
・・・やっぱり、山本直樹の漫画なんて久しぶりだし読みたいな。

しかし、私のひとが持っているかもしれないので飛び付かずにいよう。

教祖の人が面白かった。

何かを信じる、か。
私は何を信じているのかと改めて考えると
・自然(ヒト含む)
・理(ことわり)
・目の前のもの
・愛
とかだろうか・・・。
夢も希望もないけど、それらが全部突っ込まれているのが
私の考える「ヒト」であって
常に変化しているものとも思ってる。

とはいえ昨日までラブラブでいて翌日
「今まで妹としてしか思えなかった」
とか言われるとか
「距離を置こう」
とかね。
やっぱそりゃ泣くわ!

変化するものだと分かっていても
悲しいものだから
「明日も私のこと好きかな」ってしょんぼりしたり。
明日は確実に来るかもしれないけど
本当はそれだって怪しい。

そんな不確実なことだらけの中で生き延びるのに
「明日はあるよ!こうやっとけば幸せだよ!」
みたいなこと断言されたら、そっちに行っちゃうのも分かる。

東日本大震災で私は
「明日、今、目の前にいるかわいい我が子が
いなくなるかもしれないんだ」
と、実感した。
小学校に上がって、私が送迎しなくなって
その時に
「この子が一人で登下校をするということは、
この子は生きて帰ってくると限らないってことか」
と感じたような母親なので、それが確信になったというか。

だから、朝は「最後にかけた言葉」が
悲しいものにならないように
必ず「ふわふわことば」にしている。

こうして私は目の前のことを信じている
刹那な野郎。

信じることは、私みたいな黒い疑り深い愛の人には
非常に難しいのだなあと考えたのであった。

それにしても、生きるってことは
いろんなこと突っ込んであって、本当におもちゃ箱みたい。
この世界を作った誰かがいるとしたら
ずいぶんと粋なことしてくれるもんだよ。

おしまい。




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