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映画14「アイ・アム・サム」

大好きな俳優、ショーン・ペン。
大好き。
この映画、もはや20年くらい前にDVDで観た時の特典映像で
一緒に出演した障害者の1人がインタビューで
「ショーンに初めて会った時に『変わってるのはお互い様だ』と言われて嬉しかった」
と(うろ覚え)言っていて、すごく良い言葉だなって覚えていた。
注)「障害者」と「がい」の字のあたりのことについては「梅切らぬバカ」の記事を参照してください。

子ども達に見せるべく20年の間に何度か見ていたけど、
また久しぶりに見た。

一番好きかも、この映画。
地味だけど。

私は「措置」によって養護施設に送られたし
時代が違ったので虐待についての認識も今と同じではなく
単にセレンディピティみたいに結果オーライになったこととはいえ
児童福祉のお世話になったという点で見ると
すごくすごく難しい。
「良かれと思って」という措置であったけれど、
多分そういう意味ではなかったのに良い方に転がっただけだ。
そして虐待した親のことすらも、子どもは愛するということを
知っているので、そういう視点から見ても難しい。

親の知能がどうあれ、愛に溢れていれば問題ない。

と考えたいけれど、現実はまるっきりそうではなく
知能に問題があるからこその問題は経済的な問題だけでなく
起きているのだ、日々すぐ隣で。

おとぎ話として、そして、
「子どもは社会全体で育てる」
という理念のためにも見ておきたい大切な1本。

この映画はすごくよく調べられていて
知的のみならず、自閉症、精神障害者の問題をさらっと入れてある。
犯罪に巻き込まれやすいこと、
時給が安いこと、
経済的に困窮しやすいこと、
親離れ子離れしづらいこと(これは社会のサポートがないことと同義でもあるかな)、
同じ日課や予定にこだわり(これは自閉傾向が持つ常同行動)が強いことで社会と摩擦が起きやすいことなどなど。
もっとほかにもあると思うけど。

最近は大学を出ているが知能に問題があるのが分かるということが
実は多くもなっている。
全入時代というのは、そういうものなのかもしれない。

20年前よりも、今の方が寛容ではないと感じているので
今はもっともっと生きにくいだろう。

私が措置された頃は、身体・性的虐待ですらポピュラーではなかったけれど
今は虐待の種類(なんだそりゃ)も増えたし、
そんなニュースを聞かない日がないほど。
「良かれと思って」
とういことばに潜む暴力性は考えるべきだけれど
親権を持っているから子どもに何してもいい、わけもないし
持ってないないから無責任でいいわけでももちろんない。
たくさんの大人が、子ども一人のために
流れ作業ではなく、ああでもないこうでもないと
会議を重ねて処遇を決定してくれている。

親は子どもの
「教師」「料理人」「仕立て屋」「医者」「看護師」「美容師」「保育士」などなど
なんにでもなれる。
ただ、専門家ではないので、正しい専門家に委ねることや
彼らの知見に頼ることも絶対に必要だ。
そういうことも「社会で育てる」に入るんじゃないかな。

そんなこと、考えずにこの映画を見て、
愛情で胸を膨らまして、現実でぺしゃんこになっても
また観て愛と希望とで胸を膨らましていけたらいいな。

そして、どの俳優さんもすごくて本当に見てほしい。


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