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ビジュアルメモリーズ 第4話「セガが最終決戦を挑んだ日」

「1999年7か月、空から恐怖の大王が来るだろう。アンゴルモワの大王を蘇らせ、マルスの前後に首尾よく支配するために」(訳は諸説あり)というノストラダムスの大予言を覚えているだろうか。16世紀フランスの占星術師ミシェル・ド・ノートルダムが、著書「予言集」百詩篇第10章72節に残した言葉だ。

このパワーフレーズをゲームの冒頭に放り込んでドリームキャストの門出を祝したタイトルの一つが、フォーティファイブの世紀末シネマティックサスペンス『July』だ。筆者のビジュアルメモリに残る最古のセーブデータにして、遺伝子を後世に残せない人間たちは生きた軌跡に何を残すのかを真剣に考えるきっかけとなった作品。『July』の記憶はドリームキャスト発売日の思い出でもある。

セガといえばメガドライブで大成功を収めた印象が強い。特に北米ではGENESISという名で任天堂のSNESと互角のシェア争いを繰り広げた。一方で後継機のセガサターンは伸び悩んだ。そんな中、国内では当時無類の人気を誇っていたプレイステーション相手に奮闘したが、『ファイナルファンタジー』や『ドラゴンクエスト』といった有名どころのIPは、続編の対応プラットフォームをスーパーファミコンからプレイステーションへ挙って移行。これにより勝負は決したといっても過言ではなかった。

極めつけはソニーが1万台に踏み切ったプレステの新価格。セガもこれに対抗して白サターンを2万円で発売するが、結果は大赤字。もはや最後の望みは早期の次世代機投入にしか残されていなかった。

湯川専務は犠牲になったのだ

そうして生まれたドリームキャストも、その旅立ちは決して順風満帆というわけではない。ドリームキャストの強みは何と言っても、3DCGに特化したことで従来の機体とは一線を画するグラフィック処理能力、1GBの記憶容量を誇る独自の光ディスクGD-ROM、そして家庭用ゲーム機がオンラインゲーム業界へ本格参入するきっかけを作ったインターネット接続。空前絶後の広告費を投じたPR戦略と、当時の湯川専務が自らテレビCMに出演したコミカルなブランディング手法で、その名を世界に知らしめた。

あの頃はセガハードの広告が新聞の一面を飾るという光景は前代未聞だった。それほどにセガが夢の投影機に込めた想いは強かった。ドリームキャストには全人類の夢が詰まっていたのだ。

しかし、ドリームキャストが採用していたグラフィックチップ「PowerVR2」の開発が大幅に遅れたことをきっかけに、十分な出荷台数を確保できないというまさかの事態に陥ってしまう。やむなくローンチを当初の予定から1週間延期するも、莫大な資金を投じた事前の宣伝施策が効果てきめん。初期出荷分は瞬く間に売り切れた。

この初動の遅れでもろに影響を被ったのが、本体と同時リリースを予定していた看板のローンチタイトルだ。ハードウェアの流通が滞ったことで、多くのキラータイトルが発売延期を余儀なくされた。結果、直後のクリスマス商戦で最大の勝機を掴み損ねたことは言うまでもない。

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