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(42)お経を読んだり弔うということ

[赤ちゃんを33週で死産したことについて綴っています。
読みたくない方は読まずに閉じてくださいねー!]

昨日は赤ちゃんを弔いにお骨を持って友人のお寺へ。
お経を読んでもらう前にお茶を飲みながらゆっくりみんなで話しをした。
考えてみれば家族以外と直接話すのははじめてかもしれない。


寒いけど空気が澄んで美しい1日だった


自分の今にどういった言葉が当てはまるのか難しくてまだ混乱している最中だ。コインの裏表の感情どちらも一気に出てくるし、心の奥の方と表層の感情がちぐはぐになったりする。心に体がついていかないし体にこころがついていかなかったりする。
愛おしいという感情と寂しいという感情、命はどうすることもできないという感情と何かしてあげれることがあったんじゃないかという気持ち。そんなコインの裏表が同時に吹き出してくる。今までのあれこれなんてなーーんにも歯が立たない。お手上げ状態だ。

うまく伝えられたかはわからないけれど色々と聞いてもらってからお話も聞かせてもらって、お経を読んでお焼香をした。家族以外に話しを聞いてもらうのって全然違うなぁ。
話した内容はしばらく大切にしたいので詳しくはここには書かないのだけど、
アウトプットするとことや、お葬式とかこういう儀式って大切なんだなと改めて思う。
こんなにちゃんとお経を理解しようとして読んだのは始めてだったなぁ。
家でもたまには読もうと思った。ヨガの時のマントラもいいだろうな。

すごく気持ちが軽くなって、その後みんなで外で焚き火。火はずっと見てられる。

ずーっと見てられる。

南インド料理に寄って帰宅。

この日はなんだか感情が忙しく、一気に色々出してスッキリしたのか、珍しく夜中にちょっと気持ちのリバウンド的なのが来た。
それもまた夫に話して(いつ受け取ってもらってばかりでごめんよー!)、

今日は今から1ヶ月検診。それはまた明日。

なんだかまとまりませんが
今日も読んでいただきありがとうございました。

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