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まだ終わってない!


自分がまるっきり成長してないな、と思うのは、「歳を重ねるたびに見え方が変わってくる」という感覚を味わった記憶がないんですよね。
それは記憶力がスカスカだからだ!と言われればそれまでかもしれません。

いや、それも大きな原因かもしれませんが、それ以外にもおそらく原因があって、多分僕は映画にしても本にしても音楽にしても昔っから趣味がほとんど変化してないんですが、あれもこれも出会った時から「全部を味わってない」と頭のどこかで思い込んでるんだろうと思うわけです。

自分でも半分笑いながら「俺の80年代はまだ終わってない」とか言ったりするのは、あながち冗談でもないんじゃないかと、今この手紙を書きながら思っているところです。
「西部開拓時代に生きたアメリカンスピリット」だとかっこいいけど、「レンタルビデオ黎明期を生きたマニアックスピリット」なんて、ただ単なる時代遅れでしかないという。

TSUTAYAなんかが無くて、個人経営のビデオレンタル屋がポツポツ出始めて来た頃、友人(ほら、あの『麻薬書簡』の友人です)と「あそこにビデオ屋できたぞ」「あの学校の横の店、結構ホラーが充実してる」「向こうの店、モンティ・パイソンがそろってたぞ!」などと、例によって情報を共有していたものでした。

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まだ原付も車の運転免許も持ってない頃、那覇から宜野湾や北谷、コザまでアメリカ人向けレンタルビデオ屋を巡ったこともありました。店員とカタコトの会話でなんとか会員になって、日本では出ていないビデオを借りたり、ウディ・アレンの『What’s Up, Tiger Lily?』のLDがあるぞ!と驚いたり、前回書いた、初めての東京では渋谷のディスク&ギャラリーに行って『ブルース・ブラザース』と『アメリカン・グラフィティ』を買ったり……。

毎週土曜の夜には、本国から少し遅れてFENで放映されていた「サタデー・ナイト・ライブ」を見て、ラジオではCasey Kasemの「American Top 40」を聴いて、気に入った曲は翌日輸入盤を売ってる店に買いに走ったりして。

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これで英語が堪能になってれば、人生にプラスもあったんでしょうが、残念ながらやはりまるっきり成長してないのでした。

ヨーリーは初めての沖縄に「私が知ってる一番近いアメリカに似てる」と書いていましたが、その気持ちは分かるような分からないような感じです。
天秤棒担いだ豆腐売りこそ見なかったものの、普通に豆腐チャンプルーを食べてて、「寺内貫太郎一家」や「ムー」でラッパを吹いた豆腐売りや自転車に乗ったお巡りさんの姿は見慣れていたけど、外に出てみたら交番には警官はいなくて、アメリカ人が乗ったボロボロのセリカとかがブンブン走り、トラックの荷台には米兵がぎっしり並んで座っていて、市場に行けば激甘のアメリカのお菓子とちんびんやポーポーが一緒に売ってて、でもどこで知ったのかナボナってお菓子の名前は聞いたことがある……という、これは沖縄なのかアメリカなのか日本なのか。あるいは沖縄でありアメリカであり日本でもあるのか?とも。
いや、そういう風に育ってきたので、これが普通だと思っていたわけです。

個人的なノスタルジーとか懐古趣味とかいうことではなく、そういう環境だったから、沖縄という本来なら伝統のある土地・風土を考えてこなかったんだろうと。なんなら日本やアメリカの文化面白そうと考えてきちゃってるんですよね。

で、まあ成人もしてから、ようやく沖縄という土地・文化を意識せざるを得ないようなことがおこるわけでして、それが1991年の夏ってわけなのです。

てな感じで、沖縄より、ヨシミでした。
ではまた。
2022/02/06


あ、そうそう。全然関係ないんですが、さっきまたジョー・ダンテのことを検索してたら、何か面白そうな映像を見つけたので、ついでに貼り付けておきます。


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