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循環を取り戻す。それがサステナブル。(MASA)

「食物連鎖」

この言葉に初めて触れたのは小学生の理科の授業だったと思う。こんなピラミッド図と共にインプットされたことを思い出す人も多いのではないだろうか。

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この言葉は私の世界観に大きく影響を与える言葉となった。
この言葉が私の心に刺さっている理由は、幼少期にいじめに遭い、中高時代にスクールカーストの底辺を歩み、それ故に強者と弱者を強く認識するようになったことにあるのかもしれない。そんな学生時代にブームのさなかにあった「るろうに剣心」で「瀬田宗次郎」が自身のバイブルとしていたセリフ、「この世は所詮弱肉強食。強ければ生き、弱ければ死ぬんだ」これは私自身に重くのしかかった。とにかく自分の地位を変えたかった。でもそのすべがわからなかった。そんな幼少期~中高時代を過ごした。

話を「食物連鎖」に戻す。食物連鎖と聞くと、上図のような形の整ったピラミッドを思い浮かべる人が多いだろうと思うが、この形はあくまで釣り合いが取れているときの“スナップショット”に過ぎない。下図のように時の移り変わりとともにでっこみ引っ込みを繰り返すのが食物連鎖の一連の流れである。

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一方、小学校の(いやおそらく他のステージでも)理科の時間に、
「このピラミッドにおいて人間はどの部分を占めていて、現在ピラミッドはどんな形をしていますか?」
なんてことはほどんど問われない。

まぎれもなく人間は現在ピラミッドの頂点に座し、そのピラミッドは頭でっかちになっている(上図の左下ピラミッド)。人間が自身の存在を否定しないために社会が直視用途しない真実である。

このような世界において、地球を維持するためには、すなわち地球システムの恒常性(ホメオスタシス)に従い、ピラミッドの形を元に戻そうとするのであれば、人間活動を積極的に減少する以外に道はない。「人間活動=人間の数×資源の消費」と考えるならば、人間を減らすか、一人当たりが消費する資源の量を減らすかだ。こうしてみると、少子化が進んでいるのは自然の摂理で、全然良い事なんじゃないか、とも思えてくる。
そして、この頭でっかちのピラミッドを念頭に考えると人間はもはや、ただ何もせずありのままに惰性で生きようとする状態ですら、地球を破壊に向かわせる存在になっている。

そうは言っても人間活動の減少は簡単ではない。人間には消費欲求があり成長欲求がある。この根源的欲求がこれまでの世界経済増進を推し進めてきたわけであり、この本能的欲求は短期的には変わるべくもない。

ならばどうするか。
低関心低関与を高関心高関与状態に持ってくルートは二つ、高関心低関与を経るか、低関心高関与を経るか。

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グレタ・トゥンベリさんのやり方はおそらく前者であり、これで動かせる人は一定数いるのだろう。だが図示してわかる通り、これでは片手落ちなんだと思う。コロナへの対応と同じ、もはや性善説、性悪説、どちらか一方で解決できる世の中ではない。だからこそ私は後者(低関心・高関与)を実現する存在になりたいと思う。人が意識せずに人間活動を減少させるような仕組みを作りたい。無論人間の端くれとして人間を減らしたいと思うわけではないので、その消費行動を自然と減らせる仕組みを作りたい。それから、人間活動を減らすと言っても何かをあきらめ退化するような方向ではなく、うまく言葉で伝えるのが難しいが、戦略的に減らしていくのだ。それこそが進化につながるというイメージだ。ポスト資本主義とはそういう状態の前提の上に成り立つ世界なのではと考える。

その消費行動を減らす仕組みの実現のため、既に様々な業界でムーブメントは起こっている。シェアリングエコノミーがその一例だ。しかし、消費財と言われるようなマーケットではその消費財という性質そのものの特性もあり、動きが鈍い。ここにメスを入れたい。この消費財の代表格が食であり、それこそ私が人生をとして何とかしてみたいと思う課題だ。

人が、必要以上に食べたいと思う気持ちをハックする。
食産業が、人に必要以上に食べさせる構造をハックする。

これにより低関心な人でも、人間活動を戦略的に減らすことに高関与してもらう。

会社をハックし事業変革することでその実現に取り組んでいく。これが、内省により見出し、文字に起こすことで再確認した私の決意である。

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