世の中の不幸事 【エッセイ】

宗教勧誘の人に話しかけられた

何回かそういうことがあったが話を聞いてみようと思った(時間潰しのために)

話を僕はまともに聞いてなかった、というより言い回しが固く理解するのを拒否したい単語が入り混じるせいだが

まあ言いたいことは仏を信じれば救われるという話でお祈り行きませんかという要望である

その人個人の教えを信じるきっかけを聞いたのだが
禍福は糾える縄の如しみたいな話だなーという感想だ

不幸のことがあったら幸福なこともある、信じようが信じまいが当たり前の話であるなと思う

人が何を信じようがその人の勝手なんだけど

話を聞いて宗教の駄目なところを言っていくと

まず不幸があったことを罰という話の展開だ
今回は石川県の地震と羽田空港の事故の話だった
その人の話を信じると仏様は大変素晴らしいお方らしいが何故そんな罰が起きるんだと疑問が浮かぶ、いわく信じていないかららしいがだとしたらそいつは信じるに値しない程度のやつだと思う

次に前の話に繋がることだが全部宿命によって仏様に決められているという話だ
この話を信じるとなんて不幸なことで、なんてつまらないことかと思う
幸か不幸かを大事にするなら信じるのいいだろうが面白い面白くないを大事にするならその話は信じるとつまらない話でしかない

最後に
他の教えを邪教ということである
僕の考えからすれば邪教とか自分が信じるもの以外を否定するこの考え世の中の不幸を作り出す根源だと思っている
自分が信じるもの以外を排除するのは現実的には正しいと思う実際全人類仲良くなどはできないことは明白だが
理想的な話をするのであれば他者排斥する考えすることはおかしいと思う

そんなことを僕は思った


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