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「助けを求めてもいいんだ」そして「助けになりたい」と思った出来事

 照りつける日射しが眩し過ぎるくらいに暑い日々の中、私は引っ越しをした。単身で暮らしていた一軒家の実家からアパートへと。
 引っ越し準備は一人でやり遂げた。しかしそれは心身共に大変であった。「手伝おうか」「何かできることがあったら言ってね」と声を掛けてくれる人もいたが、私は「お願いします」などと言えるはずもなく、「ありがとうございます。大丈夫です。」そう謝意を述べた。
 本当は助けて欲しかった。でも私は昔から人を頼るのが苦手だ。この歳になって親のせいになどするつもりはないが、幼少期から両親共に「人に迷惑を掛けてはいけない」と口酸っぱく言われ、道に迷っても人に尋ねることすら許されなかった。
 その影響かは分からないが、私は人を頼れないし人の目が常に過剰に気になる。なんでも一人でやらなくてはいけないと思い、今までやってきたつもりだ。でも知らぬ間に沢山の人たちに助けられてきたことも実感している。そしてその人たちの好意を無にしてしまってきたことも…。そんなことをしていたが故に私から離れていった人たちがいるのも知っている。
 アドバイスや優しい言葉を掛けてくれる人たちや、私には精神疾患があるので支援してくれている人たちもいる。それなのに実際に「助けてください」と言うことが今回できなかった。
 心身共に疲弊し「もうダメだ。逃げ出したい」と思いながら引っ越し準備をやっていたわけだが、さすがに「もう限界」と思いある人に「S.O.S」をだしてしまった。その人はすぐ連絡をくれた。とても心配してくれた。「大丈夫?」その一言で私は「頑張ろう」そう思えた。
 そして寝る間も惜しんで準備を終え、どうにか引っ越しを終えられた。しかし今回ばかりは精神的にだけではなく肉体的にも人の手を借りればよかったと心から思った。これは私にとって大きな学びとなった。
 人に助けを求めるのは誰にとっても勇気がいることだろう。私にはその勇気がなかった。そしてもし逆の立場になった時があったら、相手の気持ちを尊重しながらも、できることなら一人でやらせたくはないなと身勝手かもしれないが、そう思った。
 十人十色いろんな考え方があるし、今まで生きてきた環境も皆違うから一概に言うことは難しいが、どうしても一人で限界を感じた時は助けを求められるようになりたいし、助け舟を出せる存在でありたいと心から思った。
 これが今回の引っ越しから得た私なりの学びであり気付きでもあった。
 梅雨が明けた。今日も暑くなりそうだ。
 
 

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