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#1 「守破離」と令和時代のビジネス業態

守破離は、
守→「型を守り、教えをありのまま模倣する」
破→「先の教えよりベターなやり方がないか模索する」
離→「自分だけのやり方を確立する」
という3段階のステップで成り立っている。
茶道や芸能など、日本の創造的プロセスの根底にある考えを集約し継承されてきた言葉だ。

元々は16世紀に生きた茶人・千利休の『利休道歌』に記載のある
「守り尽くして 破るとも 離るるとても 本を忘るな」
という訓示に起源があるようだが、利休の元歌を読む限り、「本を忘るな」こそが強調したい訓示であり、守破離はむしろ、物事の修得の際に修得者によって当たり前のように行われるプロセスを描写しただけの様な印象も受ける。

利休の時代から時は流れ、私たちは令和の時代を生きている。
ウーバーイーツの配達や事業承継、ユーチューバーなど、現代ならではのビジネス形態も生まれてきた。もちろん昔ながらの事務仕事や建築業なども存在するが、今後既存の仕事がどの程度存在し続けるのかは謎である。

こういった、16世紀の芸能界とは事情の違う現代のビジネス情勢において、「守り、破り、離れる」という順序は時代錯誤のようにも思える。

数年かけて取得した技術・ノウハウが明日通用するとは限らない。
その中で私たちは「どのスキルが生き、生活の糧になるのか」さえ手探りな状態で現代を生きている。
資格難民と呼ばれる、「就業のために資格を修得してみたもののその資格が生かせてない」人も多い。
守破離の「守」に踏み込む決断さえままならない状態なのだ。
ましてや、取得したものから離れ、改善し、遂には自分流のやり方を確立するという所まで到達するのは、道のり遠く気が滅入る作業であるように思える。

しかし同時に、いくら情勢の変わり続ける世の中であっても、人間が物事を修得し、その修得レベルが他人の金銭と交換できるほどまで上がるにはどうしても一定の時間が必要になるのではないだろうか。
だとすれば、結局私たちには守破離しかないのであろう。

1つの事に秀でた人に付き、完全にコピーする。
そうすれば、時代の変化という変数こそあれ最低そのレベルまでは価値提供ができるということである。

結局、ウーバードライバーにしろ、ユーチューバーにしろ、仕事には上手く行っている人が居る訳で、自分も上手くやりたいと思うのであれば、上手く行っているやり方を盗むしかないのである。