愛で丸く収まる世界。
世界は、人は、不完全だから。
わたしは完全無欠じゃないから。
みんないろんなものを求めて、
どうすればこの穴が埋まるのかって
悩んでて、試行錯誤してて。
不安に怯えて、不幸だと喚いて、
不平不満と不平等を訴える。
足りないもの。足りないもの。
不足感に苛まれている人たちの、
わたしもそのうちの一人だったけど、
どうしても答えが物質的なものの中には見当たらなくて、頭でも答えが出せなくて、
人生が頓挫していた。
でも心の奥では、本当はずっと知っていて。
わたしが欲しかったもの。
世界もきっと必要としてたもの。
「必要とし続けているもの」。
わたしはきっと、その答えは「愛」だと思った。
カタチのないもの、
人によっては正解の違うもの。
けどきっと、それが手に入れば、
心は温かく、息を吹き返す。はず。←
本当の愛を識(し)った時、
自分が犯した罪の重さも、本当の意味で識る。
未熟さの恐ろしさと罪を、
愛はまるっと埋めてくれる。
それがわかった時に、人はやっと完全になるんだと思う。
(完全とは、
天才でも、特別でも、
神や仏やギフテッドでもなく。)
人は、いつから愛を忘れたんだろうか。
わたしは、いつから、愛を忘れたんだろうか。
「答えは愛だ」とか言い出したら、
…ちょっと宗教チックですよね🙃(自覚)
でもでも、やっぱり必要だと思う。
ほんで、以前の記事にも長々と
「愛と受容と許しについて」なんて書いたけれども、
やっぱテーマがデカすぎて、
「わたしなんかがそんなこと書いていいのか」とか、謎に恐縮したり、「変な奴に思われるんじゃないか」と、ビビってしまったり。
(「変なやつ」は、もう周知の事実かもしれん…😂)
だけどもう、そう思っちまったもんは仕方がないから、出すしかないと思ってしまったから、今、こうして書いております。
もしかすっと、
「お前が言わんでも、みんな知っとる」かも知れないね。😳(照)(恥)
ほんで、前回の記事にもチラッとシレッと書いたけど、『愛=I(一人称の、I)』
でもあると思って。
足りてないのは、情という意味の、知恵という意味の愛でもあり、
「I(一人称のアイ)」、つまり『わたし』なんじゃないかなって。
「わたし」が疎かになると、
「わたし」を見失うと、人は途端に狂う。
「わたし」を粗末にするから、
大事にしないから、
人は不平不満を訴えて、不足感に苛まれる。
つまり、みんな、「自分を大事にしろ」ってことや。
でも、「自分を大切にする」なんて、
なかなか教わらなかったよね。
前時代では。
今とこれからは、みんなが教養のひとつとして、「自分を大切にする」上で、「人も大切にする」が、スタンダードになっていくんじゃないかな、なんて思う、わたしです。
他人だけじゃないよ。周りだけじゃない。
尊重するのは、大事にするのは、
「自分自身」もそう😌
それこそ、バランスと、調和でつね。🙃
(「自分を大切に」は近頃スピリチュアル界隈、心理界隈とかでも結構たくさん言われてるよね。)
(…逆に今まで自分のことしか考えてこなかった人は、もちろん人のことも大事にしてください?🙂笑 あと、本当の意味で「自分を大切にするとはなにか」を、本気の本気で考えてたら、「人を大切にする」も自ずと結びついてくるはずです。行いやエネルギーは、巡り巡ってくるものだから。)(などと偉そうにいってみる🙈)(気に障ったらごめん)(ビビり)
さて、ほんで、『愛』って一体何なんでしょう。
わたしなりに思うものは、
愛とは心で感じるものであり、
心から湧き出るものであり、
快不快などのかたちで
身体で感じ、気づくものであり
理性や知性、知恵、叡智などもかき集めた、
思考も伴うものが、「愛」だと思うのです。
情だけだと、ちょっと足りないかも知れない。
変に暴走してしまうかも知れない。
身体は、本能的に、直感的にそれを教えて、警告してくれるし、
理性が、サポートしてくれる。
愛とは人間による、
生命、命による、
最も崇高な総合芸術なんじゃないでしょうか。
(また怪しいこと言い出した😂)
だけど別に、難しいものでも、おかしなものでもない。
みんなそれが、直感的にわかるようになっているはずだから。(快不快のように)
ほんとにほんとに怪しいものは、肌感でわかるはずだし、わたしの言う『愛の定義』が
「間違っている、変、おかしい」
と思う人がいても、おかしくはない。全然。それはそれで、その人の世界の答えだと思うんです。だって「芸術」は、それぞれだから。😇
そして、自分から湧いているものが、本当に本当の愛なのか、わからなかったら知恵が教えてくれるものでもあると思う。(ただのひとりよがりかどうか、とか)
だから人は、人生という長いような短いような時間を使って、総合的に学んだり、感じたり、経験したりする必要があるのかなって。
本を読むだけじゃ足りない。
肌感で学ぶものであり、
人の間で感じ、
ひとりの時に、きっと、
(もしかしたら、死の直前とかに)
じっくりとした答え合わせができる。
「わたし」はどう思ったか。どう感じたか。
でも別に、わたしが今までに書いたこれだけが、正解で正しくてオールコレクトなわけじゃあないと思う。( ◜𖥦◝ )(全投げ)(笑笑)
だからわたしはずっと、愛について考えていたいし、感じていたい。
外からも内からも、学びたいし、感じ取りたい。愛の感覚を思い出したい。
そしてそれを、堂々と世に出せるようになりたい。
世の中に足りないものがあるとすれば、
わたしがずっと足りていないと感じていたもの、欠けている、なにか危うい、必要だと感じていたもの、
それは愛です。
が、今のわたしの答えです。(`・ω・´)キリッ
わたしは愛せるようになりたいよ。
もっともっと。
自分も人も。
もっとたくさん、愛をうたい、表現出来る人になりたい。
それを伝え、広められる人になりたい。
誰かの心が息を吹き返しますように。
温かく、安心できますようにと祈りながら。
もちろん「わたし(I)」を忘れずに。😳
あくまでも主体は、わたしなのです。
愛の源泉になりたいです。なれますように。
祈っています。努めていたいです。
ここまで目を通して下さった、暇人の(おいおい)、神様のようなあなた、本当にどうもありがとう🥺❤
わたしはこれからも、こんなよーなことを、いろんな角度から、いろんな表現を用いて、考え続けて、感じつづけて、表現し続けていこうと思うよ!
それでは、
お粗末さまでした。🙇
令和6年3月26日 りずむ
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