りずむ

猫と歌(音楽)がすき。時々お絵描き、言葉書き。表現全振り人生⸜( ᐛ )⸝noteには…

りずむ

猫と歌(音楽)がすき。時々お絵描き、言葉書き。表現全振り人生⸜( ᐛ )⸝noteには気まぐれに思いついたことなどを書き連ねてゆこうかなと😌ᝰ✍︎꙳⋆中学の頃から「しにたい」と考えるようになり、30歳になる頃やっと心療内科を受診。通院歴約6年の宇宙人(??)です。

最近の記事

橋を渡る

昔昔 屈託もなく 誰かを愛していたことを思い出して 自由に夢見ていた頃を 自分を疑わずにいた頃を 大声で笑ったり泣いたりしていた頃を 貴方が貴方のままで生きていた頃を 悲しくて痛んで傷ついて その度に癒されてきたかしら 古い傷がまだ癒えずにいるのなら それは貴方のせいじゃない 時間がたてば忘れるかしら 人といれば誤魔化せるかしら 1人になる度思い出すでしょう 夢に逃げ込めばいい 朝になって絶望しても 貴方は少しも悪くない 痛みも経験したかった 喜びだって味わいたかっ

    • ぽつぽつと降る雨のように心に降る言葉たち

      信じること 疑うこと 裏切ること 応えること 盲信すること なにか裏があると詮索すること あなたには知らんぷり わたしには精一杯 どれも苦しくて どこか快楽で ぼくたちは惑う、迷う。 なんでも難しくて、簡単で。 この世は複雑で、シンプルで。 わたしは常に新しくいたくて、 だけど過去を引きずりながら、 生まれた頃を思い出したがっている、不思議。 だいすきなひと、 どれくらいいただろう。 どれくらい本当の気持ちだろう。 自分に嘘をついていないか? それは自分を追い詰

      • 「しにたいわたし」を抱きしめて生きる。

        長いこと、長いこと、 希死念慮さんと共にありました。 何度もしにたいと思いました。 何度もしのうとしました。 その度苦痛でした。 しにたいと思うことも、 そんな心があることも、 そんなわたしがいることも、 全部間違いで醜くて情けなく恥ずかしいことだと思いました。 何度も何度も。 なんでしなないんだ、しにきれないんだ、 そう思ったことも幾度となくありました。 しにたい気持ちは、どうして何度もやってくるんだ。訪れるんだ、わたしの前に。 そんな、命を、愚弄するような

        • 思ふこと。

          どんなに仲のいい人でも、愛してる人でも、尊敬してる人でも、 「その人を必要としない時間」があっていいと思う。 その人の言うこと全てを受け入れないタイミングがあっていいと思う。(それがたとえば『宇宙』とかいう偉大なものであっても) 個人であること、自分であることを尊ぶ時に、尊重する時に、何か離れ(親離れ、子離れ、恋人離れ、友人離れ、浮世離れetc、etc…)をする時に、「大好きなソレを無視すること」が必要になるタイミングがあると思う。 それがきっと、大きな分岐で大きなチャ

        橋を渡る

          素直に生きる難しさ。

          やっぱちょっとまだ 「弱みを見せたくない」 「弱音を吐きたくない」 が大きいな〜強いな〜と思う。 (いやいや、結構ダッサイところも やばいところも、変なところ、おかしなところ、パニクってるところ、弱ってるとこ、出してきたで〜とも思うんだけど) やっぱりちょっと、 強がりは大きい。 ひとりでぜんぶなんとかしなくちゃという気持ちも強い。 『自分のことは自分でなんとかせえ』 うん。これだな(´・ω・`) (そしてりずむは強調フォントを覚えた…!) それがたくさんわたしを

          素直に生きる難しさ。

          やわらかく生きる。

          心を固くしない。 ぎゅうぎゅうしめつけない。 固定化しない。 しちゃってたけど、 押し潰そうと。 だけどわたしは自由でいたかった。 だけどわたしはのびのびと変幻自在でいたかった。 心の可動域は広くいたかった。 いろんなわたしがいたかった。 いろんなわたしをいさせてあげたかった。 失敗するわたしも、 ゆるいわたしも、 だめなわたしも、 賢いわたしも、 おバカなわたしも、 弱いわたしも、 強いわたしも、 ひとりぼっちのわたしも、 ひとりが大好きなわたしも、 どれもこれも大切で

          やわらかく生きる。

          愛で丸く収まる世界。

          世界は、人は、不完全だから。 わたしは完全無欠じゃないから。 みんないろんなものを求めて、 どうすればこの穴が埋まるのかって 悩んでて、試行錯誤してて。 不安に怯えて、不幸だと喚いて、 不平不満と不平等を訴える。 足りないもの。足りないもの。 不足感に苛まれている人たちの、 わたしもそのうちの一人だったけど、 どうしても答えが物質的なものの中には見当たらなくて、頭でも答えが出せなくて、 人生が頓挫していた。 でも心の奥では、本当はずっと知っていて。 わたしが欲

          愛で丸く収まる世界。

          愛と受容と許すこと

          わたしの考え、わたしの答え。 わたしなりの、密かな思い。 誰にでも考える権利はあって、 誰でも「自分だけの答え」を持つことを許されていて、誰だって表現する自由がある。 たくさんの人がもつアイデアの、 わたしのはそのうちのただひとつにすぎない。 (しかもそのうちここで出したひとつの「答え」は、変容していく可能性をはらんでいる) という前提を踏まえて。 愛ってなに? 許すってどうやるの? 受容ってどこまで必要? いっぱいいっぱい悩んできた。 いっぱいいっぱいやってきた。

          愛と受容と許すこと

          【独り言】深夜の気づき

          <自分の中の『悪』と共生する>のが、 わたしにとって大事なことかも知れないとふと思った。 今まで毛嫌いしてきたこと、 嫌だと思っていたこと、嫌っていた自分の弱さや醜さ、至らなさ、未熟さであったり、時に攻撃的であったり、排他的であったり、自暴自棄になってみたり、人を憎んだり恨んだり羨んだりするところ、etc,etc... 自分でそれは「ダメだ」「悪いことだ」「いけないことだ」と思ってきた感情たち。押し潰そう、押し殺そう、排除しよう、なんとかなきものにしようとしてきたところ…

          【独り言】深夜の気づき

          『燃えるゴミの日』

          その日は燃えるゴミの日でした 隣町の燃えるゴミの日でした 彼はわたしを置き去りに そこへわたしを置き去りに 泣いたり怒ったりはしませんでした だってわたしが悪いのだから ただただ自分を責めました 答えを探してうろつきました 「いい子になればいいのかしら」 「いい子はどんなものかしら」 ただひとつだけわかるのは いまのわたしじゃ いけないということ いまのわたしじゃ いけないということ 翌日は燃えないゴミの日でした わたしの町では燃えるゴミの日

          『燃えるゴミの日』