180906_8月31日切符を拾った__ヘッダ003

【短編】8月31日、切符を拾った。01


*午前中*編


仰ぐと玉座のような入道雲が天を蹂躙していた。8月31日。ツクツクボウシの断末魔の声が響く。夏の終わり。どこかの体育館から、とぎれとぎれの、カノン。

わたしは多分、”切符”を拾った。というか、切符だったんだろうと思う。

───その前にわたしのちいさな頃の話をしよう。

───”ちいさなワタシ”は10数年前のこの日、朝から大きな肩掛けかばんに少しの旅の装備を詰め込み、お気に入りの麦わら帽子と白いワンピースはためかせ、出発した。とにかく何も考えずに歩いた。夏の宿題もどうでもよかった。

目的地は遠くに霞むどこかの町の“大きな樹”───
闇雲に樹を目指し歩いた。幸いにも辿り着けた。小高い丘の上だった。

そしてその大きな樹の根本に、一枚の枯れ葉───“トモダチだった欠片を埋めた。

「あさたろう。ごめんね」

ちいさな”ワタシ”は埋めながらぼたぼたと鼻だか涙だかわからない液体で、小さな水玉をたくさん土の上に散らかしてしまった。

物語の王道の演出。涙が落ちた途端、きらきらと息を吹き返す展開にならないだろうか、と少しだけ期待した───が、すぐ後、おこがましさで死にたくなったのを覚えている。

ペットボトルに詰めてきた水を、如雨露に注ぎ───「向こうでのどがかわかないように…」となけなしの雨を降らせた。

 。゜
  +.

夏の始まり、学校で種をもらって、ワクワクしていた、朝顔の、あさたろう───うまく育てきれず、枯らしてしまった”ワタシ”のトモダチ。

───”ワタシ”はクラスで浮いていた。が、──話し相手は沢山いた。壁のしみや、目ざまし時計、鉛筆、けしごむ、空と雲。そして街路樹、植物たち。

目に映る、ニンゲン以外のすべての風景、現象に名前をつけて、話しかけていた。わたしにはヤツらの声がはっきりと聴こえていた。───

(水をあげてたらお花が咲くんだって!とか)
(うれしそうだった、夏休み前のワタシが──バカみたいだ…)

(みじめとかいうのって、きっとこういうのだ…)

ゆらゆらと視界が滲んで沈んだ。ただ、ただ、木漏れ日が丘の芝生に落ちて跳ねつづけていた。


絵にかいたような丘の上の一本の樹が、遠く高い青空と入道雲に、くっきりと縁どられていた。もう秋がそら中の天辻に待機しながら、ざあざあと透き通ったような風の唄を歌っていた。

───そうだこの大きな樹はトモダチ”がまた帰ってくるための目印。

あさたろうを埋めた上に、棒を立てたらお墓みたいですごく嫌だった。結局摘んできたお花と、とっておきの宝物。海で拾った不思議な色の碧の石を置いた。

ここはまたあさたろうが還ってくるための星の列車駅の常夜灯。この碧の石はきっとしるべとなるのだ。

眼下には、多分隣の隣ぐらいの…どこかの古い石畳の街。大きな鳥居と、遠くに鉄塔が見えた。

(───そういえばどうやって歩いてきたんだっけ。家のほうこうは、どっちだろう…。)


***sideおおきな”わたし”***

───さて。大人とか言うのになった”ワタシ”の話をしよう。

「ええと、こないだの案件ですけど、主語がフランス人なら、なんでもおシャレ感出るかって話でもなくてですね…」

「暮らしぶりの方を重点的に書いちゃっていいですか?」
「はい、5日〆ですね」

Pcを前に書き散らかした仕事のメモが散乱する6畳1kのボロアパート。

───大きなべっ甲フチの眼鏡が低い鼻でずり下がった、いかにもモサッと冴えない物書き志望のアルバイト兼業ライター。必ず左だけ盛大に寝癖が付く…。それがわたしだった。

正直、人から譲ってもらったELLEGARDENのだぶだぶバンドTしか、風貌で気に入ってる要素がなかった。

カレンダーを眺め、
(ファンタジー大賞、間に合うかなぁ…)と、ため息。


───わたしは、この一年育ててきた多肉植物の”トモダチ”をひと月前枯らしてしまったことを、まだ直視出来ないでいた。

(…子ども時代と一切変わらないな…)

雑多な町並み、ここは遠京《トオキョー》近郊。残暑が厳しいアスファルトの上、室外機の熱風に吹かれ、ぺたぺたとクロックスで駅に向かっていた。

今日は体調を崩してスーパーのバイトを休んでいた。が、現金なもので、休みの電話を入れた途端けろりと治ってしまった。

もうすぐ夏が終わろうとしていた。───今日は8月31日だった。

世の中では、平成最後の夏とかいってみんなそわそわしていた。正直少し疑問を感じる。それをいうなら今日だって今日しか過ごせない。呼び方が変わるからって、毎日が毎日毎日尊いことには変わりない。

しかし皆がどことはなしに楽しそうにしていて、それはなんだか好きだった。

手の中には、小さな顔を書いた鉢がちょこんと座っていた。ひと月ほど前まで、わたしの家族。多肉植物の”にくのすけ”が棲んでいた───いまはもうからっぽになってしまった鉢だった。

(園芸店のお姉さんに、謝らなきゃ…)

申し訳なさがカァと熱くなった目頭からぼろぼろ零れた。これは本物の涙か、泣いてる自分に酔いたいのか、なんだかもう分からなかった。

1年前「あなたなら責任持って可愛がってくれそうだから」と、100円でにくのすけを譲ってくれた、優しくって頼りになる、大好きなお姉さんだった。

枯らしたことを謝ったところで、帰ってくる言葉は容易に想像出来る。

「よく頑張ったよ」

きっと慰めを強請《ねだ》りにいきたいだけなんだろう。

にくのすけは、多肉の割に、少し体が弱かった。枯らしたくなくて何度もお姉さんに見てもらっていた。

にくのすけに関する”カナシイ”は”ほんとのカナシイ”がどこかに隠れて見つからなかった。それまで、植物は、わたしの家族で友達で、枯れるたび、ねじれるぐらい悲しかった。

─────ある案件の〆切り前だった。破格の仕事だった。

そんな時ににくのすけがまた枯れそうで、今、心を乱すわけにはいかない…と思ったのは覚えてる。

急に何かが抜け落ちたみたいにラクになった。おかげで原稿は間に合った。

─────カナシイを感じる回路の一部をどこか塞いでしまった感じだ。─────しばらくは、ラクだった。

春先、なんとか葉刺しが成功して、やっと3つだけ増やせたのに───

初夏のある日、水をやった後、うっかりしていて直射日光のあたるベランダに、半日も置き去りにしてしまった。

───わたしが殺した。

───わたしが殺した……というのに、誰かといる時は、へらへらと笑って過ごせた。夜寝る前、空っぽの鉢におやすみ。と伝えて電気を消すと、分からない呻き声が漏れた。わたしはどうして呻いてるんだろう?

ベランダ置き去り事件も3日もしたら、誰かの話でも聞いてるみたいに遠く感じた。こんな空虚な世界があるなんて、今まで想像もしてなかった。

心を取り戻す方法がわからない。わたしの心はすっかり迷子になってしまった。

少し開けた通りにやっと出た。ここの信号の根っこの方、錆びではがれた塗装の部分が、ドラゴンの紋章に見えるので、地名と合わせて栄竜《さかえのりゅう》交差点と名前をつけていた。

どこかから、昨日、燃え残った湿気た花火の匂い。風が汗ばんだ皮膚を撫ぜ、ほんの少し。体温をさらっていった。心の中、竜に声をかけた。

(おつかれさまです)

(……………)

魂を売り渡してしまった後、モノたちの声が遠かった。

カンカンカン、踏切の向こう、仰け反るような入道雲の玉座。威風堂々と、まだ西極《さいはて》に旅立つ気のない”夏が、端坐していた。


──ひら。

と鼻先をかすめて、一枚の葉が落ちてきた。

────切符みたいな切り欠きのついてる、何の変哲もない葉っぱ。椎の木の葉に似ていた。椎にしては丸めでちいさな、可愛らしい葉っぱだった。

(…あの日の空は、もう秋が近くて…)

ふいに思いだす、丘の上の大きな樹の下、朝顔を枯らして泣きじゃくっていた、ちいさな”ワタシ”の姿を。

(…たしか)
(丘から見下ろした時、どこかの大鳥居が見えた…)

子供のころ棲んでいた町、の多分隣の隣町───大鳥居が有名な、仰際神宮のある町だろう。

そういえばあれからどうやって帰ったんだっけ。

───どういうわけか、わたしは、空っぽのにくのすけの鉢を連れたまま、丁度ホームに停まっていた、目的地と逆の方向の鈍行に乗り込んでしまった。多分こっちの方角で、当たってるはずだ。


***sideちいさな”ワタシ”***

”ワタシ”はあさたろうを埋めた後、わーーって泣いた。人がいないところでしか、ワタシは泣かないんだ。

しばらくすると、やっとなみだは打ち止めになった。おおきな鳥居の町、丘の上の大きな樹の下。

────丘をおりよう…。と思ってはいた。

(…だれか)
(…ぐーぜんこの樹の下にやって来て……)
(…おじょうちゃんが住んでた町は、ここをこう曲がれば…)
(とかいって…)

───道をおしえてくれないだろうか…。

今まで、ここで無理をして、何度もけいさつに連れていかれた。お母さんがむかえにくるようなのは、もういいかげんいやだ。ワタシにもプライドってやつがあるんだよ。道をすごく知ってる人が、急に来るかのうせいだってある。

もう少し待ってみよう…。

水は…ジョーロの中にほんのすこし。後は全部あさたろうにあげてしまった。こかげがなかったら、やばかったかもしれない。

かばんを探ると、グミの袋とビスケット。ガムとかあめ。昼ごはんで持ってきたパンの余り。

(よ、よかった~)

しばらく空をながめた後、やっと一つだけグミを食べた。つばがぐわっとわいて、すこしだけのどのかわきがおさまった。

(大切に食べよう…!)

ふと、人の気配。

「……ここだぁ!」

丘の下から、大きな眼鏡のお姉さんがひぃひぃ言いながら上ってきた。だぶだぶのTシャツとショートパンツが体からはえてるみたいに似合ってた。

(ほらきた~!)

お姉さんはキャップをかるくあげて、ワタシにえしゃくとかいうのをしながらどういうわけか樹の下のあさたろうにお水をくれた。よかった、いい人みたいだ。

「あ、あ、あの…」やっと声をかけられた。

お姉さんは大きな眼鏡をはずして、
「…このお花と碧の石はあなたが置いたの?」

───なぜか赤くなった目をゴシゴシしながら、ワタシを見て笑ってこうつづけた。

「懐かしいなぁ…」
「わたしも昔ここにね…」

何故かこのお姉さん、顔が描いたちいさな鉢をずっと手に持っていた。

「ここはどこですか!?」
「…ええと……」

★。

お姉さんは一瞬ぽかんとしたあと、そういえば、という顔をして、

「あ、仰際町《あおぎわちょう》…なのは知ってる…」

(………!)
(さすが大人だ………!)

「と…鳥居がある町なのも…知っている…」

(頼りになる…!)

なんだか頭がよさそうだとも思った、いかにも国語が得意そうだ。ワタシも得意だから、なんかわかる。多分ルイトモとか田空虫《タデクウムシ》とかそのへんだ。

「ええと…」

眼鏡のお姉さんは少し青くなりながら慌ててポケットから手のひら大の、ちいさな板みたいなナニカを取り出して、あれ~?とかつながらない…とか、ケンガイかな?とか言っていた。

それにしてもこのお姉さんは、どこかで見たような顔をしていた…。


***sideおおきな”わたし”***


大鳥居の町、仰際町───小さい頃、少しの間トモダチだった朝顔を埋めた、大きな樹の根本。正直道がさっぱりわからなかったから仰際町に着いて、大鳥居を抜け丘の上の樹を目指し、滅茶苦茶に歩いたら、奇跡的にこの丘にたどり着いた。

デジャブが半端なかった。おまけにわたしに似た顔の白ワンピの女の子が、樹の下で、どうやらわたしと同じく滅茶苦茶に歩いてここまで来たらしく、丘に上ったはいいが道がわからず降りれなくなったと、

───まるで樹の上の猫みたいなことを言って助けを求めてくる。とどめに左だけ派手に寝癖がついていた。

そして、わたしが朝顔をここに連れてきたのと同じ所に、なにかのお墓、一輪の白い花と、目印みたいな感じで透き通った翠色のきれいな石ころ…───多分シーグラスだ。──が、丁寧な感じで置いてあった。

鈴の音みたいな風のなか、ツクツクボウシの輪唱。

 。゜
  +.

(この日は、空が遠くって…)

  +.

(夏休みの「夏」の字が、「31日」最後の一日だけ置き去りにして、フライングで逃げちゃったような日で…)

見上げると、つんざくような高い空。入道雲と蝉たちだけが「31日」を置いていかずに、待っていた。

───なにもかも怖いぐらいに見覚えがあった。

伊達にファンタジー作家になろうと躍起になってるわけではない。物書きのカンが疼いた。

つまりこういうことなんではないか?

この子は───

「お嬢ちゃん、お名前は?」

そのお嬢ちゃんは見上げながら
「まお」と名乗った。

「お姉さんは?」と聞き返された。ど、ど、どうすべぇ…。動揺を隠しながら、

「ま、ま、おままお。ええとええと、み、む、め、めめ…そうだ眼鏡…いや、もうちょっと何か…も…も…もっさり、モッサり…ええとええと…」

長考ののち、何故か
「…メガーヌ・モッサリーヌって呼んで」と返してしまった。

まおは吹きだして、「なにそれェ」と笑いながらわたしにガムを一枚くれた。

もしもわたしのカン通り、おかしな時空に吸い込まれたのだとしたら「どこから来た」みたいな話は、極力現地の人にしない方がいいと相場が決まっていた。謎作用で帰れなくなるかもしれない。

(……奇遇だなぁ。わたしも真緒《まお》だよ)───飲み込んだ言葉だった。

とりあえず、丘の上からでも場所が分かるのは大鳥居しかないのだ、戻るしかない。ここから見て鳥居は左の角度にある。たしか降りた駅名にも西ってついてた。午後の陽ざしは、若干鳥居のある角度、そう左に片寄り始めていた。

よかった。これなら多分わたしでも分かる。左の方に歩いていけば、きっと西なのだ。

まおは「お姉さんそんなにモッサリしてないよ」と気を使って「めがヌ」と名前を付け直してくれた。ちいさなわたし、………いいヤツ!



≪*午後編*≫に続く。