フラメンコ_赤色手を上に

ボレロ  ~閑話 独り言

最近、忙しいので気持ちが昂ることがある。
だからかラヴェルの「ボレロ」をよく聴いています。
約15分間のドラマのような流れをリピートして。そう、ドラマと書いたけれど「ボレロ」はバレエ音楽なのですよ。

静寂から段々と激しくなっていくのは「これから始める」という時に私には合っている。
牛と対面してる闘牛士のような、張りつめた緊迫感と激しさの曲で好きなのです。

   ***   ***

昔、観たバレエの「ボレロ」

踊りというより
肉体の限界と魂の叫びのよう

飢餓感から「何か」を切望する
情熱の炎のような

ダンサーは音に合わせて踊るのではなく
体と体の動きそのものが「音」

ダンサーの体から流れ飛び散る汗と
次第に変化していくダンサーの顔は
陶酔し・・・官能的である
肉体が魂をあらわすことが出来るなんて


何がテーマなのだろう?

もしも、「欲望」「切望」だとしたら

欲望は人間の生理的現象だ
だから・・・官能的に感じるのだろうか

曲の最後のシンバルは
何を意味するのだろう
燃え尽きてしまったか

   ***   ***   

シルヴィ・ギエムほか、女性ダンサーも踊る「ボレロ」。

躍動感もあり美しいが【美しすぎる】のはボレロには合わない気がする。
首から胸につたう汗――炎・情熱の証――も女性ダンサーでは見ることが出来ない。
これは男性が踊るのが似合う。

(ジェンダーバイアスなどを人に伝える私がそう言うのは、厳しいフェミニストの方からみると『男性の踊り~』とは偏見だと言われるかもしれないけれど...)

***

女性の情熱ならば、フラメンコの方が私は好きだ

スペインの空が真青なのかどんよりしているのかわからない

フラメンコは異性を意識し誘惑、愛情表現するために床を蹴りつける
激しい恋の踊りというイメージが私にはある

ギターと男性歌手の切ない呼びかけに
赤や黒のドレスに纏めた髪
深紅のバラを耳元につけて
カスタネットを鳴らしながら


私には洗練された踊りは要らない
それは、なぜだかはわからないが

踊るとしたら・・・

裸足でもいい、髪を纏める必要もなく
口紅だけ深紅にし
白い歯が見える位に大胆に踊りたい

闘牛士は牛を従えるがフラメンコで、その闘牛士まで魅了するように

欲望と苦悩をこみ上げ、それらを昇華させながら大胆というより自由に

靴が脱げて踊れなくなるより裸足のまま、爪がかけてもいい位に

***

ボレロもフラメンコも「炎」を感じることには違いないけれど。

【炎=魂】? ボレロの場合はね。


私は心に迷いがある時もあります。
少々メンタルが落ちることもあります。

だけど、生きていくのに【魂】はすてたくない。

上手く言えませんが、「心と魂は違う」。
どう違うのか...心とは、その時々の動き。魂は何だろう、生きていく上で私が譲れない理念というか。

上手く表現出来なくて、もどかしいです(それを書こうとすると原稿用紙30枚でも足りない...いや、やはり言葉で表すことが無理)。

【魂は美しくありたい】のです。


(一部 重複)

読んで頂きまして、ありがとうございました。

読んでいただき、ありがとうございました。 心理職以外の仕事の1つとして、DV被害で困ってる方々に情報提供をしています。そちらへの支援に使わせて戴きますね。