「リア充」は本当に「リア充」なのか?
noteを眺めていたら、久しぶりに「リア充」という言葉と再会した。
くにとみゆきさんの記事によれば、(「リア充」の意味をわかっていない人には、)そもそも意味が伝わらない場合と、言葉が生まれた時の意味合いから一人歩きして使われている場合とがあるとのこと。
「『リア充』って何?」か、「『リア充』って恋人がいる人のことを指すんだよね?」かの違いということだ。
「リア充」でググってみると、次のように表示された。
そうそう、こんな感じ。
有名企業に勤めていて、配偶者ないし恋人がおり、平日の昼休みは同僚とランチへ行き、休日には友人たちとBBQを開催し、四季折々のイベントはもれなく楽しんでいそうな、いけ好かない連中のことである。
「リア充」という言葉は、僕が高校生か大学生の頃に流行したと思う。大学時代の僕の口癖が「リア充爆発しろ」だったので、おそらく間違いない。負け犬ここに極まれりである。
ただ、「リア充」とは自虐的なネットスラングなので、自身を指すことはあまり(というかほぼ)ない。
「非リア充」(リア充でない人のこと)が、キラキラして見える人のことを揶揄して言っているだけで、「リア充」本人にその自覚はない。
むしろ、仕事が忙しくてしんどい、パートナーとはうまくいってない、毎日のランチ代が痛い、たまにはBBQじゃなくて家でのんびりしたい、あちこち出かけるのに疲れてきた、みたいな悩みもあるのかもしれない。
キラキラの陰で、人知れず頭を抱えているのかもしれない。
「リア充」といっても一人の人間。キラキラしていない部分もたくさんあるはずだ。
つまり、自分と違う誰かのキラキラした部分だけに羨望の眼差しを向けることは、結局ただのないものねだりなのだろう。
他人には他人の生活があり、自分には自分の生活がある。
それらは天秤にかけるようなことではなく、どちらもかけがえのない人生の1ページ。
隣の芝生は青く見えるかもしれないが、いたずらに比較することなく、自分なりのリアルを充実させることが大切なのではないだろうか。
「リア充」という言葉が生まれて幾星霜、僕もずいぶん大人になった。
惚気話をする若者や人前でイチャイチャするカップルを見かけては、「リア充爆発しろ」と舌打ちをしていた大学時代から十数年。その気持ちは、一字一句違うことなく今も僕の中で燃え続けている。負け犬ここに極まれりである。
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