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育て、殺め、食べ、そして生きる。

僕が通っていた大学は、畜産大学というだけあって家畜に触れ合う機会が多かった。

専攻する分野は畜産部門以外にもいろいろあるのだが、1年生は畜産のいろはを一通り学ぶ基礎実習が必修となっている。

馬なら乗馬、牛なら搾乳など、ある程度のことは学生全員が学んでおかなければならない。

それがたとえ、直腸検査のため右腕を牛の肛門に突っ込み、そのおかげで右肩から指先までウンコまみれになろうともだ。
ビニールの長手袋を装着しているとはいえ、風呂に入っても臭いは残っていたし、決して気分の良いものではなかった。今となっては良い思い出である。


「気分の良いものではなかった」実習の最たる例は、養豚だろう。

入学して割とすぐに始まった実習で、数か月間は子豚を育てることに費やした。
班ごとに1匹ずつ子豚が割り当てられ、学生たちは毎日決まった時間に掃除と餌やりをする。
小学生の頃、当番制でウサギのお世話をしたことがあったが、まさにその豚バージョンだ。

それだけなら微笑ましいものだが、そうではない。
この実習の目的は、豚を育てるだけではなく、育てた豚を屠殺とさつし、加工・調理し、それをいただくことまでがセットである。



養豚実習が始まった。

数か月の間に豚は見る見る肥大していき、体はまるでサンドバッグのようにずっしりとしている。淡いピンク色だった体は、今や泥だらけで朽葉くちば色になっている。可愛らしい子豚の面影はすでにない。

毎日、朝と夕の2回、豚小屋に行ってお世話をするのは面倒くさかったが、それもようやく終わろうとしている。

それでも、手塩にかけて育てたこの豚の命が奪われることを思うと、解放感などまったく感じなかった。



数か月の飼育期間が終わり、とうとう屠殺の日がやってきてしまった。

ショッキングな場面になるので、この回だけは希望者のみ立ち会うことになった。
僕はもちろん希望した。大丈夫といえば嘘になるが、この大学に入った以上は向き合わなければならない現実だと思ったからだ。

加工場に集まった学生たちの前で、教官が段取りを説明する。その傍らには、これから命を落とす予定の豚が1頭。

段取りはこうだ。
まず、豚を気絶させる。その間に大きな包丁を入れて内臓などを取り除き、最終的に枝肉にする。

文字にするとなんてことのない説明なのだが、これから目にする凄惨な光景を思うと、正気でいられる方がどうかしていると思う。僕は頭が真っ白になりそうなのを堪えながら、ただ教官を見つめていた。


説明が終わった。

教官は、なにか機械を手にしている。

それは、電気ショックを発生させる装置だった。

教官は、その装置の電源をONにした。

そして、その装置を、傍らの、豚に、押し当てた…。






断末魔の叫び、とでも呼ぶのだろうか。

電気ショックを受けた豚は、加工場の作業机がガタガタ揺れるほど痙攣し、耳をつんざくように絶叫した。

そこに教官がすかさず包丁を入れる。すると、先ほどまで豚だった物の内側から、どす黒い血液とはらわたがこぼれ出し、加工場の床を染めた。

教官やその助手たちが、肉の塊を手際よく捌いていく。その姿をあまり覚えていないのは、僕の精神が耐えられなかったからなのだろう。


屠殺の日から少なくとも3日間は、肉を食べることができなかった。

さらには、スーパーの精肉コーナーに近づくことさえできず、もう一生肉を食べることはできないのではないかとすら思った。

しかし、それでは実習の意味がない。僕は決してヴィーガンになるために屠殺に立ち会ったわけではないのだ。


屠殺の翌週は、その肉を使ってソーセージを作る実習だった。そして、そのソーセージを自分たちでいただくことになっている。
この頃には肉への拒絶反応もなくなったので、無事実習に参加できた。

僕の班では少し餌をやりすぎていたようで、出来上がったソーセージは脂っこかったが、それなりに美味しかったと思う。
ソーセージの味は、プレーンとハーブの2種類を作った。個人的には、脂っこさを緩和するハーブの方が好きだった。

とにかく、最もつらくて最も勉強になる屠殺実習が終わった。



僕は、豚を育て、殺め、食べることを身をもって経験した。

理論としてはとっくにわかっていたのだが、実際にやってみると全然違う。魚や昆虫とも全然違う。同じ哺乳類が目の前で殺されるというのは、想像を絶する衝撃があった。

しかし、そうしなければ我々人間は生きてはいけない。他の生き物の命をいただくことで、僕らは生かされているのだ。このことに目を背けてはいけないし、忘れてはいけない。

もちろん苦手な食べ物はある。たくさんある。すべての命を無駄にしないことはできない。

それでも、腐敗する前に食べきるとか、「いただきます」と「ごちそうさまでした」を欠かさないとか、自分にできる限りのことはしている。
根底にあるのは、料理を作ってくれた人への感謝、生産者への感謝、そして命への感謝だ。

尊い命に感謝して、僕は生きる。今日も、きっと明日も。




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