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「楽」よりも「楽しい」をしたい

たとえば、仕事。


新卒で入った町役場では、初めの1週間ほどは仕事という仕事をしなかった。
個別PCの設定に時間がかかったのもあるが、新人にいきなり任せられる業務などほとんどないのが最大の要因だろう。

僕が最初に命ぜられた公務は、封筒に宛名を書くことだった。
上司から送付先リストと人数分の封筒を受け取り、空いている席でひたすらペンを走らせた。
やることは簡単だし、字を書くことは嫌いじゃないし、とても楽な仕事だった。楽しくはなかったが。


数年が経ち、僕は別の部署で係長に昇進した。

楽な仕事などまったくない、と思うほど日々の業務に辟易していたのを今でも覚えている。

そんな中、会議で意見を出し合い、良いアイデアを模索する機会も増えた。
司会進行を務め、自分の意見を述べ、他人の意見に耳を傾け、総括をする。大変な仕事ではあったが、楽しいと思えることも少なくなかったと思う。


「楽」と「楽しい」とは、同じ漢字を使っている。

しかし、意味は同じではない。


「楽」と「楽しい」とが共存すること。これが一番理想だろう。

しかし、現実は厳しく、そんなに都合よく「楽」も「楽しい」も同時に手に入れられるわけではない。


では、どちらか一つを選ぶとすれば、どちらを選ぶと良いのだろうか。


「楽」を選んだ場合を考えてみる。

先ほどの宛名書きでいえば、(僕にとっては)単純で楽ちんな作業に当たる。
ただ、それを毎日8時間続けることになると、当然飽きるだろう。楽だと思っていたにもかかわらず、いずれは苦痛に変わる。

結果、「楽」は失われてしまう。


「楽しい」を選んだ場合はどうだろうか。

どんなに大変な仕事でも、「楽しい」と感じる部分があれば、人はがんばれるものだと思う。
楽しい気持ちがモチベーションとなり、モチベーションは経験につながり、経験は技術や知識に変わる。
すると、良い意味で慣れてくるので、「楽」な部分も増えてきやすい。

「楽しい」だけだったのが、「楽」にもなっている。


当然、すべての事象に当てはまるなんて思っていないし、繰り返しになるが都合よく「楽」と「楽しい」とが共存できるわけではない。

しかし、「楽」な方ばかりに流れてしまっては、そのうち「楽」ですらなくなってしまいかねないと僕は思う。

どうせやるなら「楽しい」(楽しめるもの)の方が、続けやすいし生産性も高くなるのではないだろうか。


ただし、いくら「楽しい」といっても、飲み会ではしゃいで潰れて先輩におんぶされて家まで運ばれるなどしてはダメだと、新卒当時の自分に言い聞かせてやりたい。おそらく「馬の耳に念仏」だけれど。


#66日ライラン

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