魔女の世界史 女神信仰からアニメまで (朝日新書)

最近おまじないにこっている。 なんでまたというと、コンピュータテクノロジとか最新医学とか 科学的論理的に発達してきたものに触れるにつれ、その限界をかいま見ることが多く 確率論でいえば確かに加持祈祷より効果があるのだろうが、 一個人がただその瞬間になんとかしたいことに関して 効果があるかどうかについていえば、 あまりにも外部要因が多いテクノロジはもはや神に祈るのと大差ないのでは? という気持ちになってきたからである。 そして、なんとかしたいという気持ちをダイレクトに、プリミティブに表現した もっとも可愛らしい形がおまじないではないか、と考えているのだ。 そんな流れで手に取った本書。 古代より現代まで、メインストリームに対するカウンターストリームの女性を すべて魔女として扱っているので、納得できるかどうかは人によると思う。 ただ、フェミニズムからニューエイジそしてペイガンへの流れは説得力があった。 私がニューエイジ好きなだけかもしれないのだが、ハイマジックはともかく、 ペイガンの自然との調和、アニミズム的な思想は今もっと注目されてもいいと思う。 私がイメージするところの魔女はゴシックで黒づくめなオカルトよりのものだったので かなりイメージが一新された。 本書では現代まで、の流れのところで「戦闘美少女の精神分析」にふれ、 「『戦う美少女』は日本固有なのだそうである」としている。 ところでこの「戦う美(じゃなくてもいいけど)少女」はなぜ日本固有なのか? についてはそれが魔女かどうかはともかくとして、私は一家言持っている。 少女向け作品であれば、世界中で少女達が戦いまくっているので ここで「日本固有」と言われているのはナウシカをはじめとする 成人向け作品で無謀な戦いを挑まされている戦闘少女であるとしよう。 彼女たちは「神」もしくは「神の代行者」として 視聴者を含めた一般大衆を守るために戦う。 彼女らが「少女向け作品における戦う少女」「戦う少年」「戦う成人」らと異なる点は その「けなげさ」「悲壮感」だと考えている。 これらの印象のもととなるのは制作者、視聴者が彼女らを「巫女」「生け贄」として 意識的にしろ無意識的にしろとらえているからに他ならない。 日本以外の国、といったときにイメージされるであろう欧米諸国については、 修道する修道女はいても神に仕え祈祷する巫女はいない。 日本の方が「少女」に対して超自然的なイメージを抱きやすいのである。 魔女に話を戻そう。 メインストリームを超越する、超自然的存在が魔女である、という結論であった。 そうするとメインストリームが既に多様化しどれが カウンターカルチャーかわからない時代、 例えば本書で魔女として取り上げられている初音ミクが 市民権を得ているような時代においては誰もが望めば魔女になりうる。 本書でいる「魔女」であるところの少女文化が反乱し、 アイドルや戦闘美少女が大量に発生し、現代は魔女であふれている。 おまじないが気になる私も含め、社会が今の方法論に行き詰まりを感じ、 プリミティブな方法で救いを求めているのではないだろうか。 

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