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きょうだい支援 #3 きょうだいがモデルとなる?

こんにちは、池ちゃんです😄
目まぐるしく市場価値が変動しているこの時代を、皆様はどうお過ごしでしょうか?
“終身雇用“という考え方が古くなり、新たに“個人”主体の働き方にシフトしていますね。
そうなんです!より、個人個人の“ストーリー“が輝く時代に移り変わっています。この人生の主人公は、他の誰でもない、“あなた“なのです。私、僕なのです。
沢山の人を見ると、行動した人が、いや、“行動し続けている人“が成功しています。よし、頑張ろう!と、奮起したこの頃です😏

今回は、「きょうだい支援Part3 きょうだいがモデルとなる」です。
Part1で少し触れましたが、僕が考えるきょうだい支援には、「きょうだいが作ってきた関係性が、同胞や親を守っている」というプロセスがあり、今回のテーマである“きょうだいがモデルとなる“がKey word となるんです🤝
それでは、今日も考えていきましょ😄

用語の整理:
同胞とは、障がいのある児者のこと
きょうだいとは、障がいのある児者の兄弟姉妹のこと

1.“モデルとなる“とは

“モデル“というと、写真のモデルやファッションモデルなど、その人の立ち位置によってイメージする意味が違ってきますよね。
ここで用いる、“モデル“の用語を初めに整理することで、統一して読んでいただけたらなと思ってます。

モデル…
ロールモデル(role model)とあるように、ここでは“模範となる人“とします。
模範とは、“見習うべき手本“と辞書を開くと書いてあります。模範生徒として、県・市町村より表彰されていた時代もありましたね。

障がい児者と関わる際に、“社会的スティグマ“と言われるように、差別的な行動が社会には起こっています。それは、“障がい“があることで、健常者と比べて関わり方に注意を払う必要があるためです。身体障がいは目に見えてわかりますが、発達障がいや知的障がいは、目に見えないため分かりづらい特徴があります。そのため、“変な人““おかしな人““近寄らないようにしよう“など、その人にフィルターがかかってしまいます。障がい児者が周りにいない人にとっては尚更、非日常となるため受容も難しいのではないでしょうか。

社会的スティグマ
ある特定の特徴をもつ個人や集団を、ある特定の病気と誤って関連づけることを指す。
民族や障がい、現代では、コロナウイルスに接触したと思われる人に対しても、社会的スティグマや差別的な行動を引き起こしている。

そして、きょうだいも“障がいのある人が家族に居る“という理由で、社会的スティグマが向けられています。

2.社会には“きょうだい“が多く居るんだ

僕は、きょうだいとして当事者研究を行い、“社会にはきょうだいが多くいるんだ”と、声に出してきました。
聞く人によっては、当たり前のことかもしれませんが、“きょうだい”ということは“みえづらい”のです。「実は私も、発達障がいの兄がいるんです。」
実は、3つ下に知的障がいの弟がいるんです。」
実は、4つ上に精神障がいの姉がいるんです。」
と、僕のところによくお声がかかります。

そして、そう思ったプロセスとして、きょうだいは幼い頃から同胞(障がいのある人)と過ごしており(先天性に限らず、中途障がい含め)、親を通して社会的スティグマを受けてきたのだと。さらに、親の障がい受容や関わりにもよりますが、きょうだい自身が殻をかぶってしまい、同胞が家族に居ることを隠して社会で生きていたため、きょうだいを見つけにくかったのだと。

誰にも相談できずに、1人で向き合い、その場から逃げていた、また逃げれずに社会的スティグマを直接受け続けていた、などなど。
正直、“生きづらい“のです。

一方、きょうだいとして、社会で活躍している人も沢山います。いろんな職種の中、活躍されています!
その方々に共通して言えるのは、“セルフケア”能力が高い、ということです。これは、自身の研究した内容ですが、自分自身が“社会資源“となるのです。
また、別枠で詳しく書いていきますね。

きょうだいが、かわいそう、、というお話をしているわけではないんです。

社会に多くいる“きょうだい“が、それぞれ同胞との関わり方の“モデル”となったら、どうでしょうか。
とても心強いとすごく思います😊
そして、モデルとなったために、同胞や親が救われ、助けられるのです。

葛藤の向こうに理解がある
“きょうだい“が可哀想ではない
きょうだいがモデルとなり、きょうだいが作ってきた関係性が、同胞を守っている
親の目には限りがある
親亡き後のことを考えると、より一層に…

そのエピソードとなったものから少し紹介します。

3.エピソード1「わかってるから、大丈夫だよ」

出演者
・弟(発達障がいのある人)
・母親
・Oくん(小学校からの友達)とその赤ん坊

コロナが蔓延して1年経ったある日のこと…
買い物が終わり、母と弟が家に帰る途中、久々にOくんと会った。

Oくんと僕は、小学生時代によく家に遊びに行ったりきたりする仲であった。Oくん宅は、実家からすぐ近くにあり、よく顔を合わせていた。しかし、お互いに成人し、今ではコロナ禍であることからも、全く顔も合わせずにいる。

母「おー!Oくんじゃん、元気?」

Oくん「おばさん!久しぶり!〇〇くん(弟)も久しぶりだね!元気だよー」

母「赤ちゃん大きくなったねー。かわいいわー」

Oくん「オレもパパになったんだ。」

と、世間話をしていると

弟「赤ちゃん、マスクしてないよ。」と指摘
日本人特有だと思いますが、社会には“空気を読む“という現象があります。
しかし、発達障がいの弟には“難しい”のです。

Oくん「〇〇くん(弟)、赤ちゃんだからね良いんだよ。大人の僕たちが気をつけてウイルスをうつさないように頑張ってるからね。」と、目と顔を合わせてすぐに返答があった

母は、「悪いことをしちゃったなー、傷つけちゃったかなー(心の声)」と、心配になった。
弟は悪気はないけれど、急な指摘によってOくんの気分を害してしまったのでは…と。

そのままお別れをしたが、母は弟が指摘したことについて気になっていた。
母親同士友達なので、Oくん母に連絡し、Oくんに聞いてみたら

Oくん「わかってるから大丈夫だよー。〇〇くん(弟)も元気そうでよかったよ。」とすぐに返事してくれた。
そこで、母は、「すごいな!」と思った。

なぜなら、関係性のない人からの“指摘“というのは、相手にとって受け入れがたく、憤りを与えるものである。しかし、今回のエピソードでは関係性があるからこそ、弟のことをOくんがわかっていて受け入れてくれているからこそ、「わかっているから大丈夫」という一言で、物語れたのだと。

数日経ったある日、僕と母が連絡した時に、このエピソードを母が話し始め
母「お兄ちゃんが(僕)モデルとなってくれてたから、〇〇(弟)との関わりを友達みんなができているんだね」と嬉しそうに話してくれた。

池ちゃん「そうか!きょうだいがモデルとなることで、家族や支援者だけではなく、その周りの友達や仲間が、親や弟を支えてくれているんだ。助けてくれるんだ!」と。

「わかってるから大丈夫」
信頼関係があるからこそ、とてもとても“心強い“言葉でした。

4.エピソード2 「ヤンキーと一緒に帰ってる?」

出演者
・弟(発達障がいのある人)
・母親
・ヤンキーNくん(池ちゃんの同級生)

休日のある日、母親にある一報が届いた。

ご近所さん「ねえねえ、〇〇くん(弟)が駅からお家に強面の人と一緒に帰ってたわよ!ヤンキーに絡まれてるのかと思って、怖くて話かけれなかったんだけど、〇〇くん(弟)は普通にしてたけど、大丈夫なの?」

それを聞いた母は、「え?〇〇(弟)がヤンキーと?大丈夫なのかしら(心の声)」と心配になった。

仕事帰りの弟に、
母「おかえり。〇〇くん(弟)、ヤンキーの人に声かけられたの?」と声かけた
弟「んーん。話してないよ。」
母「おうちまで一緒に歩いたの?」
弟「一緒に帰ってないよ。」
母「そうなんだね。(ヤンキーの人って誰だったんだろう、けど大事に至ってないからいいのかな)」

と、母は気になりながらもその事を後にした

それから数日経ったある日…

Nくん「おー!おばさん!久しぶり!」
母「お!Nくん、元気?」
Nくん「うん、元気元気!そういえば、前に〇〇(弟)と会ったから、一緒に帰ったでー!」
母(心の声)「ヤンキーはあんただったのかーーー!!笑」

Nくんは、強面だが内面はすごく優しく、仲間思いで、世話好きな人だ。池ちゃんとは小学校からの友達で、弟と一緒によく遊んでいた。

こうして、周りが弟のを見かけると声をかけてくれて、一緒に連れ添ってくれている、ということを知った。
弟は、Nくんは昔からNくんで、外見が変わっても他人ではなく、兄の友達として関わっているため、弟のヤンキーの概念には当てはまらなかったのだろう、笑

ご近所さんの立場からしたら、ソワソワして落ち着かなかったのでしょうね。
最高の仲間が近くにいるなんて、兄としても“心強い“です。なので、兄である池ちゃんは、実家を離れていますが、心配という言葉はありません。
だって、弟の周りには“日本一の仲間たち”がいるからね😎


まだまだエピソードはありますが、また次回に😊
皆さんのエピソードもお聞かせください!では、また😉

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