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アイヌ民謡に感じた懐かしさとゴジラが繋がった瞬間

アイヌ語での物語を聞いたときだったか、民謡を聞いたときだったか、なつかしさを感じた。リズムなのか音階なのか、なんだか記憶の隅を引っかかれるような感じがする。私は本州の生まれで、成人してから北海道にきたので、どうして「なつかしさ」を感じるのかがわからなかった。

話が少し変わるが、私の好きなものの1つにゴジラがある。これは父の影響で、幼い頃から映画館でゴジラを観て育ってきた。映画館で観たことがないのは、自分が生まれる前に上映したものと、ゴジラファイナルウォーズだけだろう。今は映画の円盤を集めて、休日の楽しみにしている。

あるとき、札幌の地下を、マスクの下でゴジラの音楽をふんふん歌いながら歩いていた。いつの間にか自分がふんふんいっていたメロディが、ゴジラではなくアイヌ民謡に変わってしまっていた。

あれ?と思わず立ち止まる。

ゴジラの音楽とアイヌ民謡が一致した瞬間があった。

一致した、というか、メドレーの様に繋がったというか、有名な小説の一節同士が関係ないのに繋がってしまったような、あれ?一緒?というような。

近くにアイヌの物語を上映しているスペースがあったが、そのときは画面が真っ暗で何も流していなかったのでそちらに引っ張られた訳ではなさそうだ。

これはメモしておかねばと思ったのだが、いざメモをとろうとしたら何の曲か思い出せない。ゴジラの方もアイヌのほうも。これぞエウレカ!と走り出さねばならぬくらいの衝撃だったのだが、衝撃が強すぎたのか思い出せなくなった。

そういえば、ゴジラの楽曲の多くを作曲した伊福部昭さんは北海道出身。アイヌ民謡からも影響を受けたと聞く。私は、音楽の世界で「影響を受ける」が曲にどう反映されるのかとか全くわからない。

全くわからないが、アイヌ民謡を聴いたときのなつかしさは、おそらく、幼い頃から散々観ていたゴジラの音楽を感じたからなのだろう。勝手にこじつけて、納得してしまった。

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