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生成AIで紙の本の価値が変わる?/私のAI活用方法も添えて


Web検索に疲れてきた

仕事でも私生活でも気軽にネットでわからないことを調べているが、最近、紙の辞書や電子辞書や専門書がほしくなる。ここ数年で、まとめサイトや「これですか?」みたいな提案が真っ先にでてくるようになったが、「情報の確からしさ」をさらに調べることに疲れてきた。どのサイトをクリックしても同じような文章がでてくるのはまだマシ。情報の出所どこ、なんでこのキーワードでこれサジェストされるの、なんていうものも出てきて、情報の選別作業が多すぎる。
大学生の頃に「引用にウィキペディアを使うな」という笑い話があったが、いまやウィキペディアの方が信用できると感じている。ウィキペディアの方が情報が整然とまとまっていて、根拠を探すのが楽だ。

私の生成AI(CoPilot、ChatGPT)との付き合い方

仕事で生成AIのCoPilotやChatGPTを使用するようになった。

私は、仕事で何かしたの文章を書くときに、一から文章を組み立てるよりは修正の方が早くできるので、修正元となる文章を生成AIに作ってもらっている。

伝えたいことをメモ書きして「このメモから、広報用の文章作って」「このメモを簡潔にまとめて」と指示するのだ。
伝えたいことをどうまとめようか、どこから手をつけたらいいかわからなくてもとりあえずCoPilotに放り込んでみる。できあがった文章をみて「伝えたいのはここなのに」「このワードが拾われてない」などの感想は、そのまま「自分がどうしたかったのか」ということに繋がるので、それを元に修正したり、まるごと一から書き直したりしている。

ほかには、セミナー用の色々も手伝ってもらっている。ただ、あまり思っているような結果は出ないので、気分転換の意味合いが強い。
例えば、元になる文章をいれて「○分の発表原稿を作るから書くセクションの目安の文字数教えて」「要旨つくって」「キーワード5つ挙げて」とか、発表原稿をいれて「もっと短くまとめて」「何分くらいかかるか教えて」「あなたは~部門の人です。質問して。回答も考えて」なんてことを入れている。

生成AI(CoPilot、ChatGPT)は調べものには使わない

え、そういう使い方なの?もっとすごいことできないの?と聞かれることがある。

よく勘違いされているが、生成AIは調べものに使って正解を聞くツールではない。一問一答で「~の社長の名前を教えて」なんて聞くのは用途が違うのだ(ただし、企業のマニュアルを読ませて、チャットボット化させたものは異なる)。

ただ、「5分の発表の目安の文字数を教えて」としても複数のサイトからそれっぽい回答を作って引用元のサイトを示してくれるので、答えが複数あるようなものについては聞くことができる。様々なサイトを参照して、それっぽいまとめの回答をしてくれるのだ。それでも、回答の確からしさ、引用元のサイトの確からしさはWeb検索と同じ確認作業が必要になる。

しかし、この使い方だったら始めから普通にWeb検索をして複数のサイトを比較した方が速い。

なぜ情報元を確かめる作業が必要なのか

私の理解した大雑把な話では、生成Aiは「データと確率を駆使して、読んでいて違和感のない文章を作れるようにした」ツールだ。

例えば、【りんご】の後には【は】と【(食べ物)】よりも【は】と【(色)】が入る方が自然だからそうする。【りんご】【は】【カレー】よりも【りんご】【は】【青い】のほうが自然なので「りんごは青い」と結果を出す。「りんごは青い」が正しいかは使っている私が判断することになる。(説明が下手ですみません)

生成AIは文章がうまく組み立てられているだけに、ただのWeb検索よりも判断する面倒くささが上がるのだ。そのため私は、前述したような、元になる文章と指示をセットで入れて、自分が入れた文章を元にして新しい文章を組み立ててもらうような使い方をしている。これなら調べものではないので、判断するべきは私の意図が伝わる文章になっているかだけで済む。

画像生成AIでさらに情報が混沌としてきた

文章生成からちょっと変わって、画像生成のAIの話に移る。

近頃、Webに上がってくる写真が本物を撮ったものではなくなってきている。鹿を検索しても検索結果に「鹿として生成AIが生成した生き物みたいなもの」が並んでいる状態だ。自分では詳細な姿がわからない生き物を調べることになると、正解がわからないので判断できなくなる。紙の図鑑の確保が必要だ、と言っている人も見かけるようになった。

誰でも画像が作れる分、CGのリアリティが上がってきた時よりも、混沌とする速度は速く、度合いが大きいと思う。

紙の本の価値が変わる?

紙の本のアドバンテージは校閲など、誰かが正しさを判断していることである。これはずっと言われてきている。

生成AIの精度が上がってきたここ1,2年、「情報の確からしさの判断」作業にほとほと疲れてきた。この作業をしたくないので紙の辞書や辞典が手元にほしい、となっている。

なんとなく2021年くらいまでに出た紙の本の価値が私にとって上がってきている状態である。
(それ以降は作者が生成AIとともに作っている可能性があるので、ちょっと嫌だな、なんて思うし、編集部側が生成AIつかって判断してたらもうよくわからないし)

紙の本の情報の確かさは、Web検索の登場や普及の時も同じことは言われてきている。ただ、これからは「自分で確認作業をしなくて良い情報源」であるということがより押し出されるのではないだろうか。
紙の本でも、出版社や作者などの偏り、情報の新しさをどこまで求める分野か、などの問題はあるので、数冊見比べる必要は確かにあるが、Webの情報ほどの困難さではないだろう。

だらだら書いたけど、便利なはずなのに無駄な手数踏ませるの、よくわからない世界に到達したなというところです。おしまい。


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