創造は思いつきではない

漫才師の西川きよしさん、漫才界初の文化功労者に。
https://mainichi.jp/articles/20201028/k00/00m/040/063000c

漫才は大好きで幼少の頃よりテレビでずっと見てきた。当時の福井は文化、経済ともに関西圏で、日曜日にはお笑い花月劇場見てお昼を食べて、その後ヤングおーおーを見て、夜には藤山寛美の舞台を見るといった感じであった。20才の頃に友と大阪・なんばグランド花月に行ったのが生を見た最初だったと記憶している。

やすしきよしの漫才は、当初は業界に受入れられなかったと聞いた。当時の漫才は、脚本家が台本を書き、それを漫才師がボケとツッコミになりおもしろおかしく演じるというものであった。それを、やすしきよしは、ボケとツッコミが始終入れ替わり、アドリブもばんばん出てくるという新しいスタイルの漫才。これがドッカンドッカン客にウケた。それをよしとしない先輩方は「お前らの漫才は、しょせん思いつきでやってるだけやないか」となじったそう。それを聞いた天才・横山やすし(故人)は言い放つ。
「思いつきやない。日頃、見て聞いて考えたことが、時と場合を選んで出てくるだけや」 名言である。
やすしきよしは業界の破壊者となりそれがスタンダートとなることで先導者となっていく。ビートたけし、島田洋七らが若手で活躍する昭和のMANZAIブームではトリをつとめることが多かった。当時、横山やすし37才、西川きよし35才。彼らが先駆者であったのでそれよりベテランは呼ばれなかったわけである。
愚息(高校入試の面接で、尊敬する人は明石家さんまさんですと答えた)によれば次の破壊者はダウンタウンであったとのこと。今の漫才はダウンタウン前と後で時代がわかれると。そのダウンタウンも50才台。今や高齢化は進み、テレビではろれつのアヤシイ70代、80代がメイン司会、コメンテーターになる時代である。時代に激しさはナイ。次代はどこへ向かうか。


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