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下北沢と倫理

わたしは少し変わった接客業をしている。

アパレルといえばアパレル。
アクセサリー屋といえばアクセサリー屋。
雑貨屋といえば雑貨屋。
でも、一つ特徴的なのは「喫煙具」も売っているというところだ。

喫煙、ときいて多くの人が想像するのは「タバコ」だと思う。
でも喫煙というのはみんなが思うタバコだけじゃない。
喫煙というのは、葉っぱや草のようなものを燃やして、その成分を摂取する行為だ。
それ以上は言わない。

私はタバコが好きだ。
「タバコ」より「煙草」の書き方の方が好きだけど、ここではあえて「タバコ」と書く。
あと、シーシャ(水タバコ)が好きだ。

「珈琲」や「紅茶」「お香」「ティーライト」「香水」なんかも好きだ。さらには、自分でブレンドするのが好きだ。

煙草はおいしい深呼吸だ。
吸い込む、ということが好きだ。
吸い込む、というのは呼吸をすることだ。
それはひといきつく、ということだ。
カラダも脳みそも止まってくれない。
だからわたしは深呼吸する時間をとる。
そして鼻を抜けていくフレーバーというものが、より自分を落ち着かせてくれる。
それが私が喫煙する理由である。

香りと喫煙はどうしたって切っても切れない関係だと思う。そして、喫煙はタバコに限らない。タバコに限らない、なんて話をわざわざするのは「非倫理」の話につなげたいからだ。

だから、わたしは喫煙具やお香を売る仕事をしていて生き生きとしているし、たまに不定期イベントで選び抜いた豆を使って珈琲屋なんかもやっている。

センス。感覚。

自身のセンスを売る仕事である。
自分が「良い」と思った品を、
自分が「良い」と思った組み合わせを、
「良い」と思ってもらう。
そして、お金を払って買ってもらう。
その時、私はほっとする。
感覚が、心が、繋がれた気持ちになる。

自分の人格や性格は信じられないけれど、自分の感覚、センスは信じてみたいと思っている。だから、

自分よりも、モノを売りたいと思う。
自分よりも、モノを知ってほしいと思う。

自分というのは、私というのは、少し壊れている。たぶん、倫理観というものが欠如している。

私は人が好きだ。だけど、

たくさんの人と関われば関わるほど、いわゆる普通の人と自分の倫理観がとてもずれているのを感じる。

「自分がふつうじゃない」
「社会から外れている」
「自分のせいで誰かが傷つく」
そういうことを感じて毎日死にたくなる。

本当は誰のことも傷つけたくないのに。誰のことも傷つけないでいられるなら自分なんかいくらでも傷ついてもいいのに。

そう思う。

でもわたしの中に欲求はあって。

私とわかり合える人と出会うこと。
私とわかり合えるコミュニティと出会うこと。

倫理観、マナー、常識、ルール、合法、
そういう言葉を並べたときに、わたしは喫煙具を売る仕事をしていてどことなく安心してしまうんだと思う。

昨日は2人組で来店した片割れの足元のおぼつかない若い男性に「お姉さん、草売ってよ」「俺と結婚しないと後悔するよ」とレジに押し入って言われた。そういう世界だ。

怖い、というか、消耗した。
終業後、店長に泣きながら電話した。
それでも、私は同時に安心感を覚える。
ここには「非倫理的」でも笑って生きている人たちがたくさん来るから。

いわゆる倫理観というものが一般的に見てズレている人と毎日話をする。

下北沢。

たくさんの人がもがきながら笑う街だ。
たくさんの人が泣きながら笑う街だ。
倫理観を失ってでも笑おうとする人たちが集う街だ。

だから私はきっとここにいるんだろうな。


瑠璃

あなたのこと忘れない