エッセーのような、そうでもないような【1】

「だからさ、書き出しがセリフから始まる小説って、もうありふれすぎてんだよ」

確かあれは、中学生の頃だったと思う。

まだラノベという言葉がなかった頃、僕はロードス島戦記やらスレイヤーズといった、ファンタジー小説を読むのが好きだった。まだ若く、何者にでもなれそうな気がしていた少年は「じゃあ俺もすげーの書く!」と息巻いて学校の購買でノートを買い、シャープペンを走らせる。2ページくらい書いて、当時よく一緒にいた何人かに見せたときに言われたのが、冒頭のセリフだ。

僕にそれを言ったヤツとは、それほど仲が良かったわけでもない。文章に長けていたわけでもない。だけど、やけにその言葉が引っかかった。

物語は結局、冒頭の旅立ちを書き切る前に未完の大作となった。甘ったれたクソガキが理想だけで走り始めるもすぐに挫折、簡単に投げ出し、何も形にすることなく、けじめらしいけじめすらつけなかったという、よくある話である。別に宿題ではないから、誰にとがめられるわけでもない。

創作は、とにかく完成させることが大事だと、よく言われる。あれから年月が経ち、まがりなりにも文章を書いて報酬を得る立場となった今は、その言葉の意味がよく分かる。完成させなければ課題も見えてこないし、そもそも評価対象にすらならない。質が低かろうがなんだろうが、とにかくやり遂げる。そこから先はもちろん質が問われるわけだが、完結させなければそもそもスタートラインにすら立てないわけだ。評価されることを怖れるならば、何も成し遂げなければいい。創作するふりだけしていて偉そうなことを言っているのも、僕は否定しない。そうはなりたくないけれど。

中学生の頃にそのことに気づけていれば、もう少し違った人生を歩めていたのかな、とは思う。もしかしたら大作家になっていた現在もあったかもしれない。ただ、今は今で僕はそれなりに満足しているし、目標も気力もある。それはそれで、ある意味で幸せなことなんだろう。

僕にもの申したヤツとは、学校を卒業してすぐ連絡を取らなくなった。風の噂でよからぬことに手を出したと聞いたが、それだってもうだいぶ昔のことだ。今は何をしているかなんて知るよしもないし、それほど興味もない。まあ、達者ならそれはそれでいいし、もしかしたら僕でも知っているようなペンネームで大文筆家になっているかもしれない。

とまあ、頭に浮かんだ思考の断片を文章にするトレーニングをしようと思い立ち、まず形にしてみたのがこれ。フィクションかどうかも、ご想像にお任せ。とりあえずはしばらく続けてみるつもりだけど、10回、30回、100回と継続できたときには、何かを得られているだろうか。




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