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市民文庫書評『ガラパゴス』上下巻 相場英雄著 小学館

〇「ボランティア情報」(とちぎボランティアねっとワーク編)2016年4月号

『ガラパゴス』上下巻 相場英雄著 小学館 上巻1400円+税 下巻1500円+税

評者 白崎一裕(那須里山舎)

20世紀を象徴する技術といえば自動車だろう。21世紀にはいって若い人は車を購入しなくなったといわれているが、いまだ世界はこの20世紀を象徴する自動車技術の延長で社会が構成されている。いわゆるモータリゼーション社会だ。その自動車産業の基礎をつくったのが20世紀前半のアメリカの自動車王ヘンリー・フォードである。フォードは、すべての労働者が自分たちでつくった自動車を購入できるよう豊かになれるようにという思想で、生産力増強のための自動車の生産システムを整備した。それは、ベルトコンベヤーに労働者をはりつけ、労働過程を「科学的管理」の下で徹底的に分割するラインシステムに結実する(これは、テーラーシステムという労務管理法の応用だった)。このシステムはフォードシステムとよばれその後の工業生産の基本となった。フォードは、これこそが労働者が幸福になるシステムだと考えていたに違いない。確かにそうかもしれない。物質的には豊かになっただろう、労働者はリッチな中産階級に変身したかもしれない。だが、そこに「落とし穴」があった。落とし穴は現代の底なしの闇につながっている。
その底なしの闇を刑事ミステリー小説というかたちで表現したのが本書である。沖縄のサンゴ礁にかこまれた伊良部島出身の仲野という少年が中学を卒業して希望に満ちた本土での高等専門学校後の技術者として働く夢を抱く。その仲野がどのように派遣労働者になり、彼の夢が暗転していくのか。そして、最期は、自動車企業のハイブリッド車にかかわる欠陥車製造を内部告発しようとして、派遣請負会社の陰謀で偽装自殺に見せかけられ毒物で殺されてしまうまでの過酷な運命を、田川刑事の捜査過程が詳細に描写する。現代の派遣労働の実態を表現する会話が小説のあちこちに挿入されるが、「派遣」という立場を鋭利に切り取ったセリフがある。
「我々(派遣労働者)は人以下の扱いでした。顧客企業が派遣や請負会社に支払うコストは、外注加工費という項目で計上されていました」「外注加工費?」「(中略)我々は部品や備品と同じ扱いで、足りなくなった分を補うという意味で外注の加工費としてカウントされているのです。部品以下かもしれませんね」
このセリフ通りだとすると派遣労働は「外注加工費」と同じ扱いなのだ。実は、ここに冒頭に述べたフォードシステムの落とし穴がある。ラインシステムが登場するまでの労働は、労働者一人一人の人格と結びついた技能労働だった。労働者が経験を磨いて得た技能の延長に生産物が存在して、その生産物は自分の人格の延長でもあり、それが生産物を使い購入する消費者との人間的なつながりともなっていた。ところが、ラインシステムは、徹底的に技能を分解して生産部品の一部に労働者を従属させることとなった。それは生産の能率を上げたかもしれない。だが、人格を伴う技能は徹底的に分解され、ベルトコンベアの部品の一部として機能させられようになってしまった。労働者にとって労働過程はよそよそしいものとなり、顔のみえる消費者の存在も消えてしまい、誰のための生産活動かも見えなくなってしまった。そして、労働者は、ささやかな労賃を得るためにこのラインにしばられ、そしてそれを支える労働市場から離れることもできない「強制労働」に従事することになる。現代は、この労働のフォードシステム化が社会の隅々まで浸透して労働者個人が生産過程の一部品として扱われるようになってしまった時代なのだ。ある研究によれば、労働者人口の約4分の3は、このフォードシステムなどの機械化・オートメ化で潜在的失業者と言われている。 部品は壊れたら交換すればよい、必要なくなれば捨てればよい、しかし、人間は違う!その叫びがこの小説の原点だ。
 作者は、前作でもある『震える牛』で食品流通業界の闇を描いた。本作はその続編であり、再び、現代の最前線の課題に迫っている。人間が人間らしく働ける社会とは何か。私たちに何ができるのか。重い問いかけである。

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