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日本人の思想

思想とは(thought)は、人が自分自身や自分の周囲について、感じことや考えなりが少なくともその共同体と同じものを共有できるとしたらそれが一つの思想となるのだろう。
人間が生きていく上で必要な知恵や考方が必要であるとすれば身近に感じられ理解できる思想の様なものが大事となる。
現代を生きる私達自身がどのように生きてきて、そしてどう生きるべきなのなのか自覚的に考えるためには、私達の先人が過去どのような思想のもとで生きてきたか知るのが最も大事なことであろう。

日本人は古代の神信仰を自然に対する感じ方として残し続けている。多くの
日本神話はおとぎ話的で教義も、思想もないとして一絡げに否定してはならない。色々な文献を多角的に自覚的に、時には批判的に考察していくとそこに学問としての日本思想史の原点があるのです。

西洋との思想的対話が始まった明治期に来日した欧米人が、日本のことを研究する上で最初に取り組んだのは、神道の研究であった。なぜなら、彼らは国の歴史・文化の思想的基礎は宗教にあると考えていたからである。彼らの神道観は、たとえば、英国人バジル・ホール・チェンバレンが著書『日本事物誌』(1890年)の中で、「神道には、まとまった教義もなければ、神聖な書物も、道徳規約もない」と表現し、また英国公使館のウィリアム・アストンは「神々のイメージが希薄で、道徳的規範もない。」(『神道』(1905年))として、宗教としての資格がないと断じる。
この考えを肯定すれば日本には規範と成る思想が何もないということになりかねない。

多くの西洋人が、このように神道に否定的で、価値を見出さなかったのに対し、ラフカディオ・ハーンは異なった見方をした。彼の神道理解の方策は、書物からではなく人々の生活の中に入っていくことで神道の宗教的感覚をとらえようとした。

「日本文化の根幹をなすのは神道」であり、「日本人の精神性の根幹には祖先信仰」があり、さらに「家と地域と国家における祖先崇拝こそが、神道の精髄のすべて」(『日本 解釈の試み』(1904年))であるという。そのことが、古来より日本の風土に根付いて伝承されてきた、神と自然と人間が混然一体となった神道の概念を形成すると説いた。
ハーンは「死者はみな神になる。All the dead become gods」と言い、万物の創造主である唯一絶対の神を崇めるキリスト教的視点で神道をとらえることは困難だとした。換言すれば、西洋的な唯一の絶対しか認めない価値観では多神教的価値を理解出来ないあろうということなのだ。

神道の特徴の一つに、自然との一体性がある。神社についてハーンは、「純粋な神道の社は(中略)岩や樹木と同じ自然の一部のように見え(中略)大地神がそのまま姿を現したように思える」(『仏の畑の落ち穂』(1897年))と表現し、神社が質素な造りにもかかわらず自然との親和性を貴ぶ様を、好意的にとらえた。キリスト教の神殿は人間との隔絶を示すよう荘厳さや豪華さが特徴で人間は神の絶対性の前にひれ伏さねばならないのだ。それがキリスト教国の文化であり思想であった。

しかし、神道に対し辛口なチェンバレンでさえ、我が国皇室は「世界でもっとも古いものとして誇り高き存在」(『日本事物誌』)なのだと、その比類なさというある面の思想的立場を認めているのも事実だ。

続く



  




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