迫真の留学日記41「早く抜け出したい」

 日付:2023年12月16日(金)
 位置:アメリカ カリフォルニア州(時差-17時間)
 身分:留学生
 天気:晴れ


 登場人物
・緑茶ドラゴン:書いている主、21歳日本人男性、体調不良中


 普段ここまで体調不良が長続きすることは珍しいため、コロナの疑いがかなり強くなっている。とはいっても今の私は医療機関に行くような金を持ち合わせていないため、私がコロナなのか、真相は闇の中である。

 さてこのとき、闇の中で私はどうなっているのかというと、量子力学的な表現をするなら、コロナの私とコロナではない私の重ね合わせが起きていると言える。

 量子力学とは私たちを取り巻く世界の根本原理の探求であり、特にとてもミクロな世界を記述する学問である。

 この量子力学というものは20世紀になって注目を浴びるようになった学問であり、比較的新しい学問ともいえる。

 それまでの古典力学では、存在というものにかなりの不変性を持たせていた。あるものはある、ないものはないと。

 しかし量子力学によって、存在というものが、白黒はっきりしている訳ではないということがわかってきた。正確に表現するなら確率的に存在していると言える。

 少し詳しい話をすると、よく光の最小構成要素(ここでいう最小とは特定できる範囲における最小のことである)である光子の正体は、粒子的な性質と波としての性質の2つを持つという話がある。

 これは確かに正しいが、非常に直観的理解が難しい。なぜなら私たちを取り巻く世界には、粒子の性質をもつものは粒子で、波の性質をもつものは波であるというすみわけがしっかりしていて、そんな2つの異なる性質を持つというあやふやなものはないのです。

 だから私は、存在が確率的であるという観点で考えると、存在に影響を与えるものは、ポテンシャル的に考えられるため、等方的に広がっていくイメージになり、それに何らかの起こりが加わると波になるという考えは理解できるし、ポテンシャルに傾きをつければそのまま座標を変えることができ、粒子的なイメージも理解できる。

 つまり何が言いたいかというと、粒子と波の性質をもつのではなく、量子特有の性質を持つといった方が、案外理解しやすいのかもしれない。

 その量子特有の性質こそが、先程から書いている、白黒はっきりしないという性質である。そしてこの性質は、物事を考える上でとても大切な気づきをくれる。

 その気づきとは、この世に絶対的なものなど存在しない、ということである。絶対的な善や、絶対的な悪、絶対的な正しさ、絶対的な●、これらは存在しないのである。これにより私たちの物の捉え方としての在り方が、二分化して区別されるようなものではなく、その2つの要素を持ちあわせているということがわかる。

 このように、虚無的な観点や、脱構築的な観点との結びつきが量子力学にはある。やはり自然から学ぶということがいかに大事かを実感する。


 金曜日になると、皆パーティーに参加しているようで、1人で黙々と迫真の日記を書いていると、酔っぱらいながらフランス人に何を書いているのと聞かれたりする。

 確かに毎晩深夜になると、パソコンに何かを語り掛けたり、パソコンの周りをうろうろしていたら、不思議に思うのがふつうである。

 日記を書いていると答えると、納得しているような態度を取られるが、目の奥では疑問で満たされている。

 海外では口元を表情の要としている。それに対して、日本人はとても目元を大切にする。日本人の私からしたら、まったく腑に落ちていないことなどすぐわかる。

 だが、いつもここに書いている熱量で伝えたところで、目の奥に満たされるものが疑問ではなく、畏怖になるだけである。

 兎にも角にも、早くこの体調不良から抜け出したい。

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