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怖い昔話『飯降山』ーミステリー解釈ー

日本のコワイ昔話『飯降山』について、ミステリー解釈してみました。

まずは、物語の概要から。
1.三人の尼僧が飯降山で修行していた。
2.天から三つのおにぎりが降ってきた。
3.鳥をさばいた形跡があった。
4.おにぎりの分け前を増やすため、若い尼僧を他の二人が結託して殺した。
5.おにぎりが二つに減った。
6.最年長の尼僧が、もう一名を殺した。
7.おにぎりは降ってこなくなった。
8.最年長の尼僧は一人、生き残った。
9.上記1~8について、木こりが様子を見ていた。

前提として、まんが日本昔話では、三人の”尼さん”となっていますが、山岳で修行していることから、尼僧ではなく、女性の”修験者”つまり山伏です。これは、飯降山を開山した泰澄が、修験者であることからもわかります。ちなみに、白山信仰系統の修験道です。

山岳信仰は女人禁制、というイメージがありますが、実は昔から女性の山伏はいました。基本的に男性と同じ修行をしますが、山岳によっては、女性山伏用のコースもあったようです。

つまり、この物語は、修験道の厳しい山岳修行中の出来事、ということになります。

まんが日本昔話を見ると、とてもコワイ物語なのは確かですが…… 僕は、疑問が先に立ってしまいました。

まずおかしいと感じたのは、物語の概要に書いた、項目5です。
項目7で、一人生き残っているにも関わらず、おにぎりがゼロになったのに、項目5ではなぜか、二つのおにぎりが降ってきます。
変です。
物語どおり、おにぎりが仏様のお恵みなのであれば、殺人を犯したあとの、項目5でゼロになってもいいはず。
もしくは、最後に一人生き残っているのですから、項目7でゼロにせず、一個のおにぎりが降ってもいいのではないでしょうか?
しかし、物語はそのどちらでもありません。

つまり、おにぎりの数に、人為的な作為を感じます。

人為的とすれば、誰の仕業でしょうか? 可能性の一つは、項目6の後のタイミングで、おにぎりがゼロになったことから、二番目に殺された尼僧ですが、尼僧がお米を持っていたなら最初から分け合っていたでしょうから、可能性は低いです。
すると、木こりしかいません。木こりがおにぎりを置いていたのです。
一日三個、つまり一食分かと思われます。もちろん足りないはずですから、木こりは山に残っているキノコを見て、(何を食べているのだろう)と一人言を呟いています。

その後、年下の尼僧が鳥を食べた形跡を発見。二番目の尼僧が疑われます。
尼僧が鳥を捕まえたのでしょうか? いいえ、普通に考えれば、木こりでしょう。木こりは、二番目の尼僧だけに、鳥肉を食べさせました。
もし食べて無くても、最年長の尼僧も年下の尼僧と同じく、二番目の尼僧が鳥を食べたと疑っています。最年長の尼僧は、二番目に尼僧に対し「ひもじいですかぁ、おにぎり、もっと食べたいですかぁ~」と、年下の尼僧と同じ疑いを口にしています。

最年長の尼僧はこの時点で、木こりが二番目の尼僧に特別な思いを持っていると誤解(もしくは事実)していたのではないでしょうか?
その証拠に、物語序盤に木こりがお布施としておにぎりを手渡しているのは、最年長の尼僧ではなく、二番目の尼僧です。『二番目の尼僧に木こりがおにぎりを手渡す』これが物語上の伏線となっているのでしょう。

ならば、二番目の尼僧が最初に殺されなかった理由が判明します。
最年長の尼僧は、二番目の尼僧を最初に殺せば、木こりからのおにぎり供給が断たれる、と考えたのでしょう。

そのため、一番年下の尼僧から手にかけた。
これは、食欲起因による殺人です。

ではなぜ、おにぎりが断たれると考えていたのに、二番目の尼僧を殺したのでしょうか?
その理由も、まんが日本昔話の描写を見るとわかります。

二番目の尼僧は、年下の尼僧を殺したことを後悔し、気に病むようになりました。
最年長の尼僧はこう思ったでしょう。「修行が終わったら、二番目の尼僧は話してしまう可能性がある。年下の尼僧を殺したことが、バレたらまずい。このまま、寺院に帰すワケにはいかない」
ミステリーではお決まりのパターン。つまり、犯人同士の仲間割れ。
最年長の尼僧は口封じのため、二番目の尼僧を殺害したと思われます。
これは、証拠隠滅目的の殺人です。

そして、冬になり、木こりが山に行かなくなったので、おにぎりの供給は断たれます。
殺人事件とは無関係の理由で、おにぎりはゼロとなったのです。

季節が春へ移ると、最年長の尼僧は山を降り、なんと、木こりの家に行きます。
これは、おにぎりを置いたのが木こりだと考えていた証です。

目的は食糧をもらうため。

最年長の尼僧の性格を考えると、”目撃者の口封じ”というセンもありますが、勝算を考えると可能性は低いでしょう。また、この話の語り手が木こりなので、もし口封じ目的だとしても、失敗していることは確かです。

これまで、一切無表情だった木こりは、驚愕の表情で尼僧を見ます。

※※※

さて、この『飯降山』。
昔話にしては、出来すぎたストーリーだなぁ、と感じます。大抵の伝承は、浦島太郎とか雪女みたいに、ユルいところがあるものです。

しかし、飯降山にはありません。ミステリーとして描写にスジが通っています。

と思ったら、脚本は漫画家の、いがらしみきおさんでした。

これは、脚本家の演出が相当入ってるな……と感じた僕は、元来の伝承を探ってみました。

調べると、まんが日本昔話の内容のほか、2つのパターンがあります。

一つは、ストーリーはほぼ同じですが、尼僧ではなく、男性のお坊さん三人の話です。
こちらは、一番年下の坊さんが年上の二人を殺します。そして、最後に残った飯(おにぎりではない)は一食分。ゼロにはなりません。
このケースの仏様は、一食分だけ飯をやろうと、明言していますし、殺人が発生しても、最後までそれを通します。
仏様の考え方がわかりません。が、この辺がユルく、人為的だとすればリアルです。

もう一つは、尼僧が三人とも生き残るパターン。
修行中に飯(おにぎりではない)が降ってきますが、三人は飯とは関係なく、信仰上の口論で仲たがいしてしまいます。
その途端、飯が降ってこなくなりました。殺人事件など発生していないのに、いきなりゼロです。
そして、三人一緒に山を降ります。

これには後日談があり、空腹でよろよろ歩いていたので、その地名が丁(ようろ)となった、という地名譚に発展します。
さらに、上丁(かみようろ)に住みついたのが、最年長の尼僧、中丁(なかようろ)は二番目の尼僧、下丁(しもようろ)が年下の尼僧とのこと。下山後は仲良しに戻ったそうです。
そして、それぞれ、その土地の先祖になった。つまり、お子さんを産んだのですね。

ハッピーエンドですが、まんが日本昔話の物語にこの話を重ねると、妙にリアル感があります。

上丁、中丁、下丁の位置関係は、上丁が一番山側、下丁は平野部でお城(越前大野城)に近く、中丁はその中間です。そして最年長の尼僧は山を下りて、すぐ木こりの家に行きました。

木こりの家はその職業柄、山側、つまり上丁だったと推理できます。

するとこの”三人とも生き残るパターン”にあてはめると、最年長の尼僧は”上丁に住みついた”のですから、木こりと結ばれた可能性が高いです。

尼僧と違い、”修験者”は出家せずに在家のまま修行するケースも多く、結婚もできることから、子供を産んだこともリアルな出来事だと思います。

このように昔話は、伝承を探ると、その土地、時代によって微妙に変化していることがわかります。
暗い物語の中にも、視点を変化させると明るいものが見える。

日本の伝承は、自分のイマジネーションの深みを重ね、厚くするために欠かせないものになりつつあります。

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