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『繚乱コスモス』(2)☆ファンタジー小説

※※※

「おはよう」
 美奈子が教室に入ると、その場は一瞬静まり返り、次いでクラスメイトたちの声は囁き声に変化する。
「おはようございます」
 徳子は思わず、教師に挨拶するかのように丁寧に返してしまう。徳子のほかに挨拶を返す生徒はいない。

 美奈子は静かに席に着いて一限目の数学の教科書を用意すると、もう一冊、文庫本を取り出した。そして、本の中ほどに挟んだしおりを開いて読み始める。

 徳子の耳に、一人の友人が顔を近づけて言った。その声には侮蔑のトーンが含まれている。
「徳子、山代さん相手にナニ緊張してんのよ。同級生じゃない。年上だけど」
「そういうワケじゃ」
「そういえばさ」
 友人が声をひそめる。
「山代さん、なんで留年したんだと思う?」
「病気で入院してたって、先生が言ってたじゃない」
「ヤダ徳子、そんなコト信じてるの? それなら転校する必要なんて無いじゃない。留年してかつ、転校しなければならない理由があったってコトでしょ? しかも病院がらみとなれば……」
「なれば?」
「デキちゃったとか」
「ええっ!」
「しっしっしぃー!」
「あ、ごめん」
「人から聞いたハナシだから確信は持てないんだけど、そう考えるとナルホドって思えるのよねぇ」
「誰から聞いたの?」
「それは言えないけど、その人は信頼できる友達から聞いたって」
(人づてのそのまた人づて? なんて頼りない情報源)
 そう思っても、面と向かって反論して友達を失いたくはない。友人の輪からはみ出るような発言は極力避けたかった。

 そのとき、美奈子がページに落としていた視線を徳子に向けた。不意に視線が合ったので、徳子は少々慌てつつ、声をかける。
「山代さん、なに、読んでるの?」
「膜宇宙論。好きなの」
「へぇ……」
「宮島さんも良かったらどうぞ。これ読んだら貸してあげる」
「あ、ありがとう」
「ホントに借りるのぉ?」
 クラスメイトの一人がそう言って、徳子の肩をポンと叩いてすぐに離れ、何事もなかったように着席して次の授業の準備を始める。
 徳子も愛想笑いを美奈子に返して、席についた。
 美奈子は本を鞄にしまうと、微かな笑みを一瞬だけ口元に浮かべ、すぐに教壇へと視線を移した。

 直接言い争いをしたり、暴力など皆無の穏やかな校風ではあったが、意図的な仲間はずれはあった。
 美奈子に対してはそれが徹底していて、体育祭や文化祭の準備ではハブられ、野外研修ではハジかれ、放課後連れ立って買い物に行くときにはハズされていた。
 男子ならば一人の方が気が楽、ということもあるが女子はそうもいかない。
 徳子は、自分がハブられるのはイヤだったが、他人がハブられるのを見るのもイヤだった。他にも同じ考えのクラスメイトはいたが、イヤだという気持ちを行動に移せるのは徳子だけである。しかし、それはささやかなものだ。

 文化祭で、飾りつけの材料をそれとなく美奈子の前に置いたり、野外研修ではわざと奇数人数のグループに入り、さも止むを得ないというそぶりで美奈子と課題を交換して、互いに採点するなど気を使う程度。
 しかし、それにも限界はあった。体育祭に向けた二人三脚の練習相手がおらず、途方にくれている美奈子を尻目に、別の友人とペアを組んだこともある。

 そのような行動は自分自身への嫌悪感となって膨らみ続け、罪悪感にまで育っていった。

 折りしも美奈子は数学の難問を解くよう教師に指名され、黒板に式と回答を書いて席に戻るところである。その表情は普段と変わりなく、背筋はピンとしている。
(美奈子さんってすごいな。噂話が聞こえてないはず無いのに、あんなに落ち着いて、しかも凛々しくて)
 徳子には美奈子に深入りする勇気は無かったが、トゲのある空気に立ち向かうような彼女の態度に、尊敬の念が芽生え始めていた。

 翌朝、徳子はいつもより早い時間に登校すると、もう美奈子はきていて、そっと膜宇宙論の本を徳子の机に置いた。
 徳子に気を使ってか言葉は無く、ただ微笑みを投げかけてくる。


 その優しい笑顔は、徳子に自らの矮小さを、自覚させていた。


繚乱コスモス(3)へ続く


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