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「型にはまらない」前に「型にはまれ」!

 「型にはまる」。この言葉を聞くと、現代人は良い印象は抱かないのではないでしょうか。「一人一人が大事なんだ」「個性が」「アイデンティティが」と、「みんな違ってみんないい」考えが主流になる中、このイメージとは対にあたるのが「型にはまる」という言葉だと思います。学校でみんなが教師の思う一つの理想的な形になることを「型にはめる」教育といい、また、会社でマニュアル通りにしか動かない人間を「型にはまった」人間だと言います。どちらも、上から与えられた型のいうとおりにしかならない、つまらない、と少し揶揄する意味も込められています。

 最近の世の中は、オリジナリティの溢れる、クリエイティブな思考が求められています。所謂「型にはまらない」人間が求められているということです。私も、型にはまらないクリエイティブな人間になりたいと思いますが、そんな型にはまらない前に、まずは「型にはまる」ことが大事だということに気づきました。

 今回は、そんな「型にはまる」ことについて考えていきたいと思います。

型は質の高い文化継承装置

 私たちが「型」と聞いてイメージしやすいのは、武道における「型」でしょうか。私は武道の経験は、中学校と大学での体育の授業での柔道だけですので、もう経験がないと言っても等しいものです。正直武道の世界観を全く知らないのですが、武道には「型」があるということだけは、なんとなく理解しています。武道家達は、「型」を繰り返し繰り返し行います。「型」にはその名の通り決まった形があって、それを毎日、レベルに関係なく行います。武道家のルーティーン、とも言えるでしょうか。(齟齬があったらごめんなさい)

 「型」というのは、もともと技術の伝承を目的として作られたもので、様々な動きを最も理想的なかたちに凝縮したものであるそう。型は、その道の先人達の動きを要約したものであり、様々な動きの本質がぎっしり詰め込まれているということです。武道家達は、「型」を繰り返し行い訓練する中で、文化としての「型」を継承され、自分の身体で受け取っているのです。

 新体操選手には、「バーレッスン」が分かりやすい「型」かなと思います。新体操では、アップで必ずと言って良いほどバーレッスンを行います。私たちは、バーレッスンを行うことで、バレエの・新体操の動きの本質を受け取っていたのでしょう。

型から学べること

 私たちが「型」を始める時、多くは見様見真似で行うと思います。もちろん言葉で説明を受けることもありますが、前にいる先輩や、先生の動きに合わせて真似していくというのが王道のパターンです。このように、型を習得するには、目で見て真似をするという技術が必要です。

 ある程度の動きの順番が理解できたところで、次はその型の習熟の段階に移るでしょう。型は、ただ形を行うだけでは思うような効果が得られなく(もちろん全く効果のないものではないでしょう)、ここで意味のないものだと思ってしまう人も多いのではないでしょうか。しかし、先ほども述べたように、型にはその動きの本質が詰め込まれています。自分より型を習熟している先生や先輩から、その本質を見て盗むということが必要になります。盗むことによってやっと動きの本質が見えて、型を繰り返す意味に気づくことができます。

 しかし、これで型を習得したことにはなりません。「型」をルーティーン化する武道家のように、「バーレッスン」を毎日欠かさず行う新体操選手のように、“繰り返す“という作業が必要です。型を繰り返すことによって、その型から得られた動きの本質が自分の身体に染みつき、この動きが“自分のもの““技“となります。

 「型」を本当の意味で身につけるには、ただ真似をするだけでなく、そこから本質を盗み、繰り返すという、長い時間の鍛錬が必要だということですね。

型にはまった時点で型ではない

 このように、型は見て、真似して、盗んで、そして繰り返すというプロセスを通して、自分の身体で身につけていくものです。それは言葉で伝える以上のものを身につけることができます。

 ほら、よく言葉にできないけどわかる感覚ってあるじゃないですか。それです(笑)。私たちが感じる、言葉では説明できない感覚を身につけることが可能になるのです。この、言葉では表現することが難しい、身体でならわかる部分は思っているより広く、特に「意識化」しない部分というのは、技の習得に大きな役割を担っていると言います。最近ではその「意識化」しない力について解明しようという研究もあるくらいです…。

 そんな言葉で表現できない上に意識もしない部分のことを「暗黙知」と言いますが、型を本当の意味で身につけるということは、この暗黙知という非常に奥深い部分にまで、動きの本質を学ばせたということになります。

 型を身につける過程では、まず目に見えるまま型を真似し、本質を盗んで、繰り返し、やっと身につくという話をしました。この「見えるまま」の型と、私たちの身体に「身についた」型というのは、少し違うものになります。動きの本質を繰り返し、やっと身につけられたものは「暗黙知」の次元にまで至っています。動きは人から与えられたものではなく、自分の身体で解釈された自分なりの型になったということです。一つ前の投稿で「自分の身体は人とは違うから、世界で良いとされているものが自分の身体にも当てはまるとは限らない」という話をしましたが、それは型の習得でも同じことが言えます。この話の見方を少し変えて、「与えられた型は、自分の身体に合うように入っていく」と言うことができます。

 「型」を暗黙知の領域まで染み込ませて型にはまった時、もうその時点で型にははまっていないのです。

だから型にはまらない前に型にはまるべきなんだ

 ここまで、「型」には動きの本質が詰め込まれていて、その型を繰り返し自分のものにすることで、自分に合う自分だけの型になっている、という話をしてきました。ここまでお話しすればわかると思いますが、「型」は基本のキで、型がきちんとしているから、型にはまらなくても進んでいけるということがわかってきました。

 「型にはまらない」ことは、このオリジナリティが求められる社会で必要なことです。でも、オリジナル(応用)の前には基本があって、そこがきちんとしていないと上達も難しいのは、どの世界でも言えることで、新体操も例外ではありません。

 私はバーレッスンは得意ではなかったので、少しおざなりにしてしまう部分があったのですが、こうした「型」に対する理解があれば、もう少し意識を高めることができただろうなと思います。バーレッスンは練習のメニューに組み込まれていたからやっていただけで、本当に型にはめられていただけでした(笑)。何をするにも、ただ言われたからやるのではなく、意味をもってやるということが大事ですね。(やっぱり「目的」が大事。目的については『新体操が嫌いだった現役時代』参照)

 最後に大事なことを言い忘れましたが、その型が本当にいいものだとは限りません。悪い型にはまってどこかの宗教のようになっては元も子もありません。型にはそれだけの力があるということです。うまく見極めをする場面が出てくるかもしれませんね。

 型にはまらない前に、型にはまるすゝめでした。


 最後まで読んでいただきありがとうございました。

〈参考文献〉

斎藤孝「子どもに伝えたい〈三つの力〉生きる力を鍛える」2001、日本放送出版協会


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