君は僕のエンターテイメント

もう連絡する気はなかった。
しても意味がない。これ以上先に進むことはできない、ってゆうか先なんてない。行き止まりなんだからと。
でも私は昨日君にLINEをした。
なぜだか分からない。思いたった5分後には送信ボタンを押していた。
会いたい、と思う気持ちは一度漏れてしまえば次から次へと外に漏れ出し、水浸しになってしまう。会いたい、声が聞きたい、キスがしたい。私は彼を相手に何度妄想を膨らませただろう。もう妄想するべきシチュエーションが残されていないくらい何度も何度も想像する。お気に入りの妄想は、関連動画のように何かの拍子に自動的に出てきては私に繰り返しその映像を見せる。

だけど今すぐ会うことはできない。だから私は仕方なく君にLINEをする。
もしも彼がすぐに会えるような距離に居たら、私たちはもっと気軽に会うことができたのだろうか?付き合ったり、別れたり、そんな面倒なやり取りなんてなしにして、会いたいときに会うだけの関係を2人に許すことができたのだろうか?自信ないな。いや、出来るはずがない。私はきっとすぐに答えを求めただろう。言葉にできる関係を求めるはずだ。彼がそれに答えてくれなければ、キッパリ諦めようとするだろう。ちょうど今しているのと同じ態度だ。だとすれば、私たちはすぐに会えない距離にいて良かった。君が近くに居たら、私は君に会うことしか考えられなくなってしまうから。私の生活を脅かすことはないLINEくらいがちょうどいい。

すぐに君から返事が来た。
バイトに行く途中、電車の中でLINEを開くと私はなんて返事を返そうか考える。最後にやりとりをしたのはコロナの前だったから、もう三ヶ月以上前になる。久しぶりの本物の君の気配。嬉しいとか楽しいとかってゆうより、やっと水が飲めた感覚。砂漠に見つけたオアシス。もしくは全く言葉が通じない海外で日本語を聞いたときのような。
とかなんとか色々考えていたら私は降りたい駅を通り過ぎ、一駅乗り過ごしていた。呆れながらも仕方ないと納得する。
私はそれをそれだけ求めていたのだから。
君の気配をずっと感じたかったのだ。例えば温度も香りも感じることの出来ない電波だったとしても。

LINEなんてしても意味がないと思っていた。どうせ会うことは出来ないのだし、私は何度も振られているんだから。虚しくなるだけだ。例えLINEで楽しくやりとりをしたって、一体それが何になるだろう?意味がないことはやめよう。そう思っていた。

でも、映画を観たり本を読んだり、ディズニーランドに行ったり。それって意味なんてあるだろうか?その時を最大限に楽しみたくて私たちはそれらを求めるなら、私にとってそれは君そのものだ。映画や本は私を一駅乗り過ごさせることは出来ないのだから。
私は長い間自分からエンターテインメントを奪っていた。自分自身になんて可愛そうなことをしていたのかと謝りたくなった。
だけど、このエンタメには副作用があることも同時に気がつく。あとはバンジージャンプ並みの心構えもいる。事故の可能性だってある。良くも悪くも人生観が変わってしまい、もう元の自分に戻ることは出来ないかもしれない。甘い夢だけを期待してバンジージャンプに挑む人など居ないだろう。それと同時にバンジージャンプに見返りを求める人だって居ないはずだ。飛べたことだけが最大の価値でそれ以上でも以下でもない。
だとすれば、彼に会うことに最大の価値がある。なぜそこに意味を見出さなければいけないと思ってしまうのだろう。

君はバンジージャンプだ。
いつも私を空に誘う。私は飛ぶことを恐れてなかなか空に登ることができない。
だけど飛ばなければいけないことを、私の魂は知っている。
無事に家に帰れるかは分からない。
でもバンジージャンプを経験しない人生なんてつまらない。

私はバンジージャンプのある人生を選んだのだ。

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