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『職業遍歴』#24-3 「仕事を与えない」というパワハラ

筆者が過去に経験した「履歴書には書けない仕事(バイト含む)」を振り返るシリーズ第24弾。今回は、契約社員として出版社に入り、ライトノベルの編集の仕事をしていたころのお話です。

24. ライトノベルの編集

「パワハラ」というと、がんがん仕事を振られて忙しくさせられる、上司に厳しい言葉で叱責される、などが思い浮かぶと思います。しかしじつは、「仕事を与えない」こともまたパワハラに該当するそうです。

私は契約社員としてある出版社に入社しました。そこはいわゆるブラック企業でした。

仕事量が多すぎて月の時間外労働が100時間を超えてしまった話をこちらに書きました↓

年下上司にパワハラを受け、長時間労働とパワハラがストレスとなり病院で書いてもらった診断書を会社に提出して時間外労働を制限してもらったという話をこちらに書きました。↓

私は三カ月ほど時間外労働を制限してもらい、毎日定時で帰りました。その後、復帰しても問題ないという医者の診断書を提出し、復帰しました。

私はまた以前のように自分の担当を持ち、忙しく仕事をすることになるのかな、と思っていました。今回はもっと要領よくやろう、パンパンになってしまったら無理せず休もう、会社には診断書も出しているし精神障害のことも話したしわかってくれるはず、と思っていました。

ところがそうはなりませんでした。逆に、一切仕事を振られなくなったのです。

課長に「手が空いているのですが、なにかありますか」と聞くと、「資料の本(その会社で出しているラノベ)を読んでいてください」と言われます。

理屈としては、いつかまた私にも担当を持ってもらうから、会社がどんな本を出しているのかを知ってもらいたい、ということでした。けれど、具体的に私がどの本を今後担当する、などという話は一向に出てきませんでした。私は言われた通り来る日も来る日も本を読んでいましたが、もちろん「ただ本を読む」なんてことが仕事であるはずがありません。

それはいわゆる「肩叩き」でした。会社は、一度体調を崩した私を切ろうとしていたのです。でも、私の契約期間は一年ありましたし、一度体調を崩した以外なにも問題を起こしてない私を会社が一方的に解雇することはできません。しかも現在の私は医者の診断書では「就業可能」です。

だから、仕事を与えないことによって、自主的に退職させようとしていたのだと思います。私はそのことがわかっていたので、意地でも自分からは辞めませんでした。自己都合の退職となれば失業保険だってすぐには出ませんし。

こうして、なにも仕事がない日々が何カ月も続きました。

朝は定時に出社し、パソコンを起動させます。しかし、仕事はなにもありません。ひたすら「なにかをやっているふり」をします。実際には一日中ネットでどうでもいい記事を読んだり、やたらとトイレに立ったりタバコ休憩に行ったりしていました。一日8時間、なにも仕事がないなか時間を潰さないといけないのは本当にしんどかった。

毎朝、その日一日をどうやってやり過ごすかを考えます。私はよそでライターの仕事もしていたので、その仕事があるときは「今日は会社でこの原稿を書こう」と決めます。ライターの仕事がないときは、「今日はこれに関するブログを書こう」「今日はこのサイトのこの記事をまとめて読もう」「今日はこのことについて調べよう」などと、自分なりにその日一日やることを無理矢理決めます。それはどうでもいいことですが、とにかくそれをやるために会社に行くんだと自分に言い聞かせ、毎日通勤しました。

その会社は当時50人ほどの従業員がおり、皆仕事に追われて忙しく働いていました。周りの人も、私が明らかに「干されている」状態であることはわかっていたと思います。しかし、誰も私に近寄ってはきませんでした。皆、自分の仕事で一杯いっぱいで、自分を守ることに必死です。変に私を気遣ったりしたら、自分に火の粉が降りかかるかもしれないのだから、仕方がなかったと思います。

私は毎日、朝出社したとき「おはようございます」、お昼に出るとき「お昼行ってきます」、戻ったとき「戻りました」、そして退社するとき「お先に失礼します」と、それだけしか言葉を発しませんでした。

誰とも話さず、仕事もなく、ただ座ってひたすらどうでもいいサイトを見たりしているだけ。

けれど、周りの人は皆忙しそうに仕事をしている。

自分はなぜここにいるのだろう……

一日一日が本当に長かった。

会社を出た後は、映画や芝居を観に行ったり飲みに行ったりヨガのレッスンに行ったりしました。そうやって毎晩予定を入れないと、朝出社できない気がしました。

従業員になにも仕事をさせずに、毎月給料を払う。なんて馬鹿な会社だろうかと思います。お互いにとって明らかに損失です。

そして契約終了の日が近づいてきました。当然のことながら、会社は私の契約を更新しませんでした。

結局私は最初の三カ月は激務、その後の三カ月は時間外労働制限、そしてその後半年間はなにも仕事を与えられないまま、一年の契約を終えました。

会社の都合で契約更新がされなかったので、失業保険はすぐに下りました。

そしてなんと退職後一カ月で次の就業先が決まりました。派遣ではありましたが、そこは素敵な職場でした。

失業保険の期間はたくさん残っていたので、私はかなりの額の再就職手当を手にしました。

大変な仕事、辛い仕事というものは、世の中にたくさんあります。パワハラやセクハラも完全にはなくならないでしょう。そういう目に遭ったとき、どう対処するかも、人それぞれだと思います。

けれど、ひとつだけ確実にわかっていることがあります。それは、大変な仕事のあとには、必ず楽しい仕事がやってくる、ということです。

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