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効率化を考えるほどバカで不幸になっていく 正しい効率化とは何か

少々煽り気味のタイトルになってしまった。「コスパ」「タイパ」という言葉が流行り出して久しい。コスパは「コストパフォーマンス」、タイパは「タイムパフォーマンス」でどちらも効率化を追求する考えだ。また、日本は生産性が低い、などとニュース等でも言われることが多い。生産性は生産効率と同様の意味でつかわれることもある。つまり今の時代「もっと効率的に生きようぜ」というメッセージがそこかしこにあふれているわけだ。そして元来あまのじゃくである私は「コスパ」「タイパ」という言葉が大嫌いであり、効率化重視の今の風潮に非常に疑問をいただいている。今日は、そんな話をしていきたい。

効率化が自己目的化してはいけない

私が10年ほど勤めていた会社がある。今でこそ、その会社は業績が好転しているが、当時は予算が厳しくほとんどのプロジェクトはコスト削減に関連したものになっていた。

コストを削減する王道は「仕事の量を減らし社員の数を減らすこと」である。人を削減するために、どんどん業務は廃止したり、外注されていく。問題なのは、本来は何かをするための時間と労力を生み出すために、業務は効率化されるべきなのだが、効率化そのものが目的化していったことだ。社員の中には会社の目的は何か、と聞かれて「コスト削減」と答えていた人すらいた。コスト削減を究極の目標とするのであれば、その会社が存在しないのが一番の最適解になってしまう。

「効率化だけを考えるなら、生まれてすぐ死ぬのが一番効率がいいんです」と言ったのは養老孟司先生だが、この一見暴論にも聞こえる意見はリアルな私の会社の課題となっていた。何のために効率化するのか、の「何のために」の部分を見失い効率化が自己目的化してしまったとき、人は(法人も含め)存在意義を見失ってしまう。

私がこの会社を辞めた理由はそれだけが理由ではないが、会社の存在意義とそこで働く自分の存在意義を見失ってしまったことは一つの大きな理由だ。

効率化は怠惰と紙一重

社会は分業でなりたっているが、それは分業したほうが効率がよく生産性があがるからだ。複雑化した社会では、身の回りの物を全て自分で作ることは出来ない。農作物を作る人がいて、服を作る人がいて、家を作る人がいる。家を作る人は、家を作ってお金を得ることで、それを食べ物や服に変えて生活をしている。それ自体は人間社会の必然だ。

ところが、この流れをつきつめていくと、必然的に「仕事を人任せにする」ようになっていく。なぜなら費用対効果のことを考えれば、自分はお金だけを得て、実際の仕事を他人に任せるのが一番効率がよくなるからである。

フランスのブルボン朝や日本の平安時代の貴族、帝国時代のヨーロッパ、マルクスが批判した資本家、これらは「支配者の労力を最小」にして「支配者が労力によって得られる成果物を最大」にしようとするメカニズムによって生まれてきている。

話がそれていくので歴史的な話は置いておくが、ここで問題としたいのは「効率化」を目指すと基本的に人は怠け者になっていく(自ら労働をしなくなる)ということだ。仕事の効率化を錦の御旗に掲げながら、実はただお金を動かして実態の労働を下請けに丸投げしているような会社はごまんとある。最近の効率化を推奨する風潮は、このような「他人に仕事を押し付ける」方向を助長するように感じられてならない。

私が効率化という言葉が嫌いな理由は、仕事でかかわる多くの人が自らの怠慢、手抜きを棚に上げ、効率化の錦の御旗のもとに自らの行動を正当化する傾向にあることだ。

効率化で浮いた時間を有効に使うのは簡単ではない

コロナ禍において私の仕事はほぼリモートワークになった。当時、仕事が逼迫していた私は、リモートワークの仕事部屋にホワイトボードを入れたり、NotionのToDo管理を徹底したり、仕事の効率化の徹底に努めていた。

おかげでかなり仕事の効率化は進んだが、実は一日でこなせる仕事の総量はそれほど変わらなかった。理由はいろいろあるが、一つは作業を効率化していったものの夕方には脳みそがぐったり疲労しており、夕方以降は何もいいアイデアが出てこない状態になったことだ。つまり、効率化して時間をひねり出しても、脳のエネルギーが枯渇していれば結局こなせる仕事量は変わらないということである。

そして疲れきっているので、夜の時間は勉強などの自己研鑽などに時間を費やすこともなくダラダラとビールを飲みながらYoutubeを見て過ごすようになり「俺、何のために仕事の効率化に力を入れていたんだっけ」と自己嫌悪になっていた。

結局、空いた時間を有効に使えなければ効率化などは意味をなさないのである。「最近のテレビのバラエティはダラダラとして時間の無駄」と言ってテレビを見るのをやめた一方でYoutubeのショート動画をエンドレスで再生していたら結局は同じことなのである。

効率化を自分のプラスとするためには

結論として、仕事をする上で効率化を考えることが重要であることは間違いないが、以下をはっきり意識しなくていはいけないと思っている。

  1. 何のために効率化が必要なのか目的をしっかり持つ。効率化を自己目的化しない。

  2. 自分だけの効率化を考えるのではなく、チーム全体での効率化を考える。他人に仕事を任せるのはよいが、常に全体としてWin-Winになるように考える。自分の負担を他人に押し付けるだけになっていないか、自問自答する。

  3. ただ仕事を効率よくこなせるだけではなく、全体としてこなせる仕事の量とレベルが上がるように仕事配分を設計する。

1と2は異論がないところだろう。問題は3番だ。全体としてこなせる仕事量とレベルが上がるようにする、ということは自らの成長を促す、とイコールである。私にとって「自分の成長」は「仕事の効率化」より遥かに重要な事項だ。

はっきりいって自分の成長と効率化は少々相性が悪いところもある。自分の成長と自分の仕事の効率化をどのように両立させるか、についていよいよ書いていきたいのだが、少し記事が長くなってしまったので、次回の記事にまわすことにしたい。



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