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備えなくして、憂いありー管理社会の脅威と無管理社会の弊害(雑感)

●まぁ死んだところで数十万、生き残る方が1億となれば、コロナ後の財政の方が重要という価値判断があるから、補償の踏み込みが浅くなる(ようにもみえる)。
こうした事案で、政治家、行政官の究極の価値判断、理念、思想が見えてくる。

●そこはバランス論だとも言われるが、論という割にどうバランスをとるかの調整の理論は毎度お留守ではある。

●一方、補償、補償という側はどうか。日頃から社会保障制度のありよう、その財源確保に連なる経済政策、個々具体的に金を配るときの方法、手段の整備には無関心ではなかったか。有事に対するは平時の準備の如何にかかっている。

●面前の弱者に金を配れと主張する口先正義の容易さよ。火事場で水水と怒鳴っているに等しい。
そのための準備や財源への目配りもなければ、主張もなく、ましてやその立場にはないとばかり汗も流さず労も惜しむ。むしろ対案もなく反対の連続ではなかったか。(マイナンバー制度導入とガバナンスの強化論)

●プライバシー権のなんたるかは深掘りなく、基本書切り貼りですませて、徒に監視国家というキーワードを主張してみる。その結果、福祉国家の実現を削っていることに気がつかない。当人の主義主張にすら矛盾するあたりはほっかむりだ。

●有事になると微妙に軸足がズレたりブレたりしはじめるが、浮き足ただずに普通に法を適用して対応するのが基本だろう。
行政の要請に法的根拠を求めることは、何も監視国家を求めることではない。法治国家たれという主張は海賊版サイト問題からミジンコも揺らぎはない。(感染症法の適用なき、民間への事実上の要請問題)

●しかし、振り返ってみて、あの緊急とこの緊急を比べてみよう。あれが緊急なら、今回の緊急はいかほどのものかということになる。国家総動員、一億火の玉となって、全ての行政は超法規的にでも果敢に実行あるのみとなる。緊急の閾値があまりに低い。

●法治国家の獅子心中の虫とは、あの手の者を言う。平時になんとか芽の一つを摘んでおいてよかったというほかない。
手をかえ品をかえ永遠に虫はわいてくる。虫干し、日光消毒は重要である。過ぎたことと水に流さず、何度も何度も蒸し返しては論じ、偉い人ほど実名を記録し、顛末を本にも書いて、石に刻むように教訓とし、今後とも安易な超法規的措置が出てくれば、皆で言論の金属バットを手に立ち上がり、徹底的にガチンコで闘い、頭をかち割っておかねばならない。

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