読書メモ「ファスト&スロー」(ダニエル・カーネマン)

読書メモは自分用のものです。気になったところに感想を付けています。

今回は行動経済学でノーベル経済学賞を受賞した心理学者、ダニエル・カーネマンの著書。1章ずつ、年末から3ヶ月ぐらいかけて上下巻をようやく読み終わりました。読み飛ばすことも可能ですが、それだと面白くない、考えながら読むほうがいい分野です。

まずは上巻より。

エラーの中でも特定の状況で繰り返し起きる系統的なエラーはバイアスと呼ばれ、予測が可能
ヒューリスティクスの専門的な定義は、「困難な質問に対して、適切ではあるが往々にして不完全な答を見つけるための単純な手続き」である。ヒューリスティクスという言葉は、「見つけた!」を意味するギリシャ語のユーレカを語源に持つ。

まず、せめてこれら定義だけでも間違えないようにしたい。ヒューリスティクスの語源は知らなんだ。

「私はフォード株を買うべきか」は難しい。だが、もとの問題と関係はあるがより簡単な質問「私はフォードのクルマが好きか」になら、すぐに答は出せる。そしてこの答が選択を決めた。
たいていの人は、結論が正しいと感じると、それを導くに至ったと思われる論理も正しいと思い込む。たとえ実際には成り立たない論理であっても、である。

人は思ったほどちゃんと考えていない。考えたような気になっているだけである。下の場合、傍から見ていると理解できない考え方をしている。自分の思考を客観的にするためには、やはり書き出すなどして確認することが必要だろう。

誰かに嘘を信じさせたいときの確実な方法は、何度も繰り返すことである。聞き慣れたことは真実と混同されやすいからだ。
文章の一部になじんでいるだけで、全体に見覚えがあると感じ、真実だと考えるからだ。ある発言や文章の情報源を思い出せず、手持ちの情報とも関連づけられないとき、あなたはつい認知しやすさを手がかりにすることになる。

ザイアンスが「単純接触効果」と名付けたこの効果。スーパーで同じ商品を複数箇所に置いたり、広告を大量に投下してみたりとか、難しくメッセージを作り込むよりも単純な接触を繰り返すほうが効果的だというのは、プロモーションをやっていると感じるものだ。さらに、

疲れているときやうんざりしているときは、人間は根拠のない説得的なメッセージ(たとえばコマーシャル)に影響されやすくなる、というデータもある。

とのことだ。気をつけよう。

「アンカリング効果(anchoring effect)」または「係留効果」という。ある未知の数値を見積もる前に何らかの特定の数値を示されると、この効果が起きる。
数日間は「お一人様一二個まで」の張り紙が出され、残り数日間は「お一人何個でもどうぞ」の張り紙に変わった。すると、制限されていた日の平均購入数は七缶で、制限なしの日の二倍に達したのである。

一時的な販売のことだけを考えるのであれば、「お客様のニーズ」を丁寧に探っていくよりも、こうした人間の心理を理解して突いていく方が手っ取り早く変化が出るものである(それを推奨しているわけではないですよ、念のため)。

下巻へ続く。

矛盾や不一致がなく頭にすらすら入ってくるストーリーは受け入れやすい。だが認知が容易でつじつまが合っているからといって、真実だという保証にはならない。

健康法とかエセ医療とかこういうの多い気がする。一見正しいように見えるけど、よく見るとそうでもないものばっかり。

プロフェッショナルの直感的なスキルの習得は、基本的には、質の高いフィードバックをすぐに得られるかどうか、そして練習し実践する機会が十分にあるかどうかにかかっている。

フィードバックがされていなければ、いくら経験が豊富でも直感はあてにならないということ。

報酬は個人の権利であり、たとえ市場条件が悪化して雇用主が賃金引き下げを余儀なくされるとしても、既存の従業員には賃金水準の維持を要求する権利がある。だが新たに採用された従業員は前任者の参照水準とは無縁だから、同額の賃金をもらう権利はなく、雇用主は新しい従業員に低い賃金水準を適用しても、不公平とそしられることはない。
「利他的な報復」では、驚いたことに、脳の中の快楽に関わる部位が活性化するという。どう やら社会の秩序や公正の原則を維持すること自体が、人間にとって心地よさという見返りをもたらすらしい。

「現状維持」が権利であり、「現状維持」が目的にもなる。すべて「現状」が基準になる。

〇%→五%の大きなインパクトは「可能性の効果(possibility effect)」と言うことができる。この効果によって、実際にはほとんど起こりそうもない結果に、不相応に大きな重みがつけられることになる。(中略)九五%→一〇〇%への変化もまた質的な変化であり、こちらは「確実性の効果(certainty effect)」という大きなインパクトをもたらす。「確実」と「ほぼ確実」はまったくちがうものであり、ほぼ確実な結果に対しては、発生確率に見合う重みはつけられない。

「100%」が持つ安心感は強い。だからこそ100%を謳うのには責任が伴う。

私の経験は、テロがなぜ有効か、なぜあれほど効果があるのかを雄弁に物語っている。テロは、利用可能性の連鎖を引き起こすのである。痛ましくも鮮明な死者や負傷者のイメージが報道や日々の会話によって絶えず増幅され、ひどく身近な取り出しやすい情報となる。

大きく報道されてこそ、注意を集めてこそ、テロは有効になる。ひょっとしたら大きく騒いでいる人の中には、それをわかっている人もいるのかもしれない。




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