RONI

*乳がんステージⅡa/ルミナルB/リンパ転移なし *2021年3月告知/現在ホルモン療…

RONI

*乳がんステージⅡa/ルミナルB/リンパ転移なし *2021年3月告知/現在ホルモン療法中 *1991年生まれ/息子は2020年生まれ *治療のこと、愛する人たちのこと等を書いています。 *更新はほんっと不定期です(涙) *リンク集→ https://lit.link/RONI

マガジン

  • RONIの乳がん

    2021年3月2日、29歳で乳がんの告知を受けました。 闘病の記録と言うよりは、その時々で私が何を思っていたか、感情の記録です。

  • 大事な人との思い出

    夫や亡くなった友人など、大事な人について書きました。

  • RONIのヤバい家族

    28歳で結婚するまで私が共に過ごした「ちょっとヤバい奴ら」(身内)について書いています。

最近の記事

「今の闇」、三度~或いは私だけの「緑の日」~

ピロリン、ピロリン、と形容するには、あの音は高すぎる。神経質な小鳥が、寝不足のために喉をやられたような―――つまり今の私のような―――掠れた甲高いさえずり。強いて書くなら、「キィロリン、キィロリン」…あの音の無い病床はなんと心穏やかなことかと、針の食い込んだ手の甲の痛みを庇いながらうつらうつらしていた。 それが火曜日のことだった。 町の内科医は半覚醒の私の枕元までわざわざやってくると、「13,000」という数字を指しながら今から点滴に抗生物質を混ぜると告げた。普通は8,000

    • 闘病垢、そしてそれ以外の温かなアカウントの皆さんへ

      明後日私はまた、「生徒」という人々と出会う。 2020年3月に3年間手塩にかけて導いてきた彼らと別れてから丸三年が経った。 人より少し長い、私の産育休が今日終わる。 3年前の3月、絨毛膜下血腫で切迫流産の診断を受けた。 初めての離任式に向けて「異動かぁ。ほんとお世話になったわ。離任式行くわ」「じゃあ薔薇の花束持ってきてよ」「いいよ」というヤンチャだった男子との軽口を思い出した。すっかり第2の母校のようになった、5年間勤めあげた初任校。薔薇の花束などないにしても語りたいことはた

      • 本当に"あった"怖い話

        これは、私が大学4年生の時の話です─── 私が通っていた大学は東京都とは名ばかりの山の中にあった。学内の様々な場所を「○○ヒルズ」と称してなんとか山感を誤魔化そうとしていたが、勾配だらけで敷地が広いだけの学校で、東京の大学生らしく新宿やら渋谷やらで遊ぶには40分ほど電車に揺られなければならなかった。 無名ではないが一流でもない我が校は、内部進学や第一志望合格で入学し大満足で充実したキャンパスライフを送る人たちと、本命に滑り第○志望で入ってきて山奥という立地も手伝い鬱屈した気

        • 「今の闇」、再び~或いはタモキシフェン~

          私の育休は、「人生の休み」のようだった。 モラトリアムなどという陽気で優雅な休みではない。 いわば、スゴロクの1回休みだった。 何度サイを投げても、その出た目が幾つかに関わらず、私の目の前にはズラッと果てしなく、空と海とが出会うところまで───たぶんその向こうまで、「1回休み」のコマが続いていた。躍起になって投げ続けられた安いサイコロは、あんまりにも何度も激しく打ち付けられたから下流の石のように丸みを帯びてさえいる────そんな育児休暇だった。 具体的には、私の「育児休暇」は

        「今の闇」、三度~或いは私だけの「緑の日」~

        • 闘病垢、そしてそれ以外の温かなアカウントの皆さんへ

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        • 「今の闇」、再び~或いはタモキシフェン~

        マガジン

        • RONIの乳がん
          19本
        • 大事な人との思い出
          10本
        • RONIのヤバい家族
          17本

        記事

          オタクの私の話~バイバイ、2022年~

          2022年の記憶がない。 「記憶がない」というのはもちろん慣用句的な表現であって、何月に何があったかはなんとなく覚えている。だけど、「1年しっかり過ごしたな。今年ももう終わるな」という感覚が、抜け落ちてしまっている。 11月の終わりごろから、Twitterては1年を振り返るハッシュタグ投稿が目立つようになった。いわゆる闘病垢なので、みんなそれぞれ告知をされた月や、手術した月、抗がん剤を完走した月などを並べて呟いていた。私もこのハッシュタグやりたい!と思った数秒後には、自分の心

          オタクの私の話~バイバイ、2022年~

          息子にがんセンターを紹介された日の話

          起きてすぐ、微かな苛立ちと緊張を感じていた。この動悸は…?そうだ、今日は面談だ。眠る息子の白い頬。こんなに愛らしいのに、彼は問題児なのか。鬱々と支度をした。 1歳半健診であまりに落ち着きがなかったため保健師にマークされた息子は、保育園申し込みをきっかけに個別の面談に呼び出されていた。 市役所に着くと、担当者が来るまで窓口に座って待つよう促された。ものの数秒で椅子を滑り降りたがり始めた息子と格闘していると、数分後に先日の電話の保健師が現れた。真っ黒なワンレンボブの、笑顔が温か

          息子にがんセンターを紹介された日の話

          ケーキ ~2歳になったあなたへ~

          もう何度 この白い海を往復しただろう カタカタカタカタカタカタカタカタ 数えきれない線を刻む あなたは 卵が食べられないから ママは ケーキを手作りする ママは 料理が苦手だから 適当に焼いた なんか甘い生地を たくさんの クリームと たくさんの あなたの好きな 果実で 適当に 飾り付けることにした 愚図るあなたを宥めては カタカタカタカタカタカタカタカタ イタズラするあなたを叱っては カタカタカタカタカタカタカタカタ 泣き出すあなたを抱きしめては カタカタカタカタカタカタ

          ケーキ ~2歳になったあなたへ~

          酒と私とトラウマと~ウィークリーパクリタキセル①~

          「この次の抗がん剤はね、そんなにキツくないから。ここまで来たら後は楽だよ!」 最後の「赤い点滴」(エピルビシン。「赤い悪魔」と呼ばれることも)を吊り下げながら担当の看護師さんが晴れやかに言った。 色とりどりのウィッグで「武装」し、化学療法センターで毎度七五三の子供のようにチヤホヤされたお陰で、私は「抗がん剤やめたい」と思うことなくddEC最終回を迎えた。確かにキツかった。息子を抱き上げられない日が何日も続いたし、夏場だというのに投与後6日くらいは風呂にも入らなかった。が、そん

          酒と私とトラウマと~ウィークリーパクリタキセル①~

          検査、そして三津シーと淡い恋

          16年前の秋の日、私と彼は何の言葉も交わすことなく肩を寄せあうでもなく、ただ並んで繰り返し繰り返し浮き上がっては沈んでいくオキゴンドウの背中を眺めていた。背もたれのない白いベンチ。真ん中にもう一人座れるか座れないかの微妙な空白。そこから10月の海風が幾度も抜けた。 そうしていた時間が何時間だったのか、何十分だったのかはもう思い出せない。 ひたすら鮮明なのは、傾きかけた陽に照らされた黄金色の駿河湾。私はこのままこのキラキラと揺れる水面に身を投げてしまいたい。そうしてこの静かな幸

          検査、そして三津シーと淡い恋

          私とボスと時々ママ友

          大学1年の始め、ボスとめちゃくちゃな喧嘩をした。 どういう経緯で何について喧嘩をしたのかは忘れてしまったが、私がボスに 「私はボスみたいにレベルの低い大学で妥協して満足してないから!」 と言い放って電話をガチャ切りしたことだけは覚えている。 まったくめちゃくちゃである。この頃、私自身がめちゃくちゃだった。どのくらいめちゃくちゃだったかというと、男性経験がなかったくせに大学入学5日目でまったく知らない男とワンナイトラブに興じ、その帰り道に多摩モノレールの線路を覗き込んで「いっ

          私とボスと時々ママ友

          息子と私と今の気持ちと~告白あるいは白状~

          20歳になったとき、すっかり疎遠になった小学校や中学校での同級生が妊娠したとか結婚したとかの噂を耳にすることが多くなった。 25歳になったとき、ずっと親しくしてきた周りの友人たちが結婚したいと言い出したり、子供がほしいと言い出したりし始めた。 そして28歳になったとき、私は生まれて初めて真剣に、結婚と出産を熱望した。私は婚約中で、高校3年生の担任で、そして父代わりの祖父には進行した癌が見つかった。 それまでの私はとにかく恋愛が楽しくて、夫と出会うまではいつでも「彼氏以外の男

          息子と私と今の気持ちと~告白あるいは白状~

          爆進!ウィッグ道オマケ~超個人的ウィッグショップリスト~

          毎回ただ漫然と思ったことを書き殴っているが、今回は「私も見出しとかリンクとか使いこなしたカッコいい記事を作りたい!」ということで、私の超個人的ウィッグショップリストを披露しようと思う。今にもどこからか「それって、あなたの感想ですよね?」と上ずった声が聞こえてきそうではあるが、どうか生暖かい目で見守るなりブラウザバックするなりしてほしい。 はじめに!(見出しだぁっ)ここまで私のウィッグに関する記事を読んでくださった方は私がいかにウィッグにその情熱となけなしの資金を注ぎ込んだか

          爆進!ウィッグ道オマケ~超個人的ウィッグショップリスト~

          爆進!ウィッグ道④~お呼ばれWedding編~

          2021年。 生後4ヶ月の息子を抱え、29歳で乳がんになった2021年。 22年来の友人を、仲違いの末に自死で亡くした2021年。 クソッタレな1年。早く、1日でも早く終わってくれよ…これ以上の災厄を起こす前に。 私は砂時計の砂を焦れったく見つめる子供のように、祈るような思いで師走の一日一日を過ごしていた。 あともう少し…あとほんの少し、という12月29日、教え子からLINEが来た。 「式の日程決まりました! 8/20です! 来てくれますか?」 差出人は、高校2年から付き合い

          爆進!ウィッグ道④~お呼ばれWedding編~

          彼女の一周忌

          目覚ましより10分早く目が覚めた。意識がハッキリすると共に激しい雨音がボリュームを増す。雷雨。曇天の夜明けのブルーグレーの室内を白亜の光が神経質そうにピカピカっと照らした。数秒後には空が割れるような轟音。眠っていながらも雷鳴に怯えたのか、息子が隣で「ふえっ」と小さく泣いて寝返りをした。完璧な雷雨。 涙雨、というには激しすぎる。淑やかで隙のない美貌の内側に、こういう気性を秘めていたよね。 今日は、彼女の一周忌だった。 この空と同じくらい、気は重かった。行きたくない…というのが

          彼女の一周忌

          爆進!ウィッグ道③~一期一会編~

          彼女と初めて会ったのは、10月12日。もうすっかり秋は深まっていたのに、彼女の柔らかな亜麻色の髪が、春の西日を思い出させた。 そう、このがんセンターの庭で、あの日一人包まれていた黄金色の、でも眩しすぎない暖かな光。ここは室内なのに、彼女の揺れる綺麗な毛先に、あの日と同じ西日が照り映えている気がした。 私はコミュ障である。 私の愛読書は匿名掲示板のまとめサイトなのだが(そしてこの時点で色々とお察しだと思うのだが)、大学時代のあるとき、いつものようにベンチでパンを齧りながらまと

          爆進!ウィッグ道③~一期一会編~

          爆進!ウィッグ道②~派手髪編~

          29歳、春。その視線は、蛇の舌のようにほんの一瞬…しかし確かな湿度と鋭さを持って飛んできた。 目立つことは嫌いではない。というより、幼少期から目立つことに慣れざるを得なかった。幼い頃から1人だけ、細かい縦ロールになってしまう天然パーマのせいで、見られるに限らず笑われる、触られる、指を指される、国籍を間違われるのは日常茶飯事だった。 私は真面目しか取り柄のない子供だったので中学3年まではストパー禁止の校則に従い、時に「ネパール人に似てるね(友人談、真偽不明)」と言われながらも

          爆進!ウィッグ道②~派手髪編~