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RONIの乳がん

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2021年3月2日、29歳で乳がんの告知を受けました。 闘病の記録と言うよりは、その時々で私が何を思っていたか、感情の記録です。
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記事一覧

「今の闇」、三度~或いは私だけの「緑の日」~

「今の闇」、三度~或いは私だけの「緑の日」~

ピロリン、ピロリン、と形容するには、あの音は高すぎる。神経質な小鳥が、寝不足のために喉をやられたような―――つまり今の私のような―――掠れた甲高いさえずり。強いて書くなら、「キィロリン、キィロリン」…あの音の無い病床はなんと心穏やかなことかと、針の食い込んだ手の甲の痛みを庇いながらうつらうつらしていた。
それが火曜日のことだった。
町の内科医は半覚醒の私の枕元までわざわざやってくると、「13,00

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「今の闇」、再び~或いはタモキシフェン~

「今の闇」、再び~或いはタモキシフェン~

私の育休は、「人生の休み」のようだった。
モラトリアムなどという陽気で優雅な休みではない。
いわば、スゴロクの1回休みだった。
何度サイを投げても、その出た目が幾つかに関わらず、私の目の前にはズラッと果てしなく、空と海とが出会うところまで───たぶんその向こうまで、「1回休み」のコマが続いていた。躍起になって投げ続けられた安いサイコロは、あんまりにも何度も激しく打ち付けられたから下流の石のように丸

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酒と私とトラウマと~ウィークリーパクリタキセル①~

酒と私とトラウマと~ウィークリーパクリタキセル①~

「この次の抗がん剤はね、そんなにキツくないから。ここまで来たら後は楽だよ!」
最後の「赤い点滴」(エピルビシン。「赤い悪魔」と呼ばれることも)を吊り下げながら担当の看護師さんが晴れやかに言った。
色とりどりのウィッグで「武装」し、化学療法センターで毎度七五三の子供のようにチヤホヤされたお陰で、私は「抗がん剤やめたい」と思うことなくddEC最終回を迎えた。確かにキツかった。息子を抱き上げられない日が

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検査、そして三津シーと淡い恋

検査、そして三津シーと淡い恋

16年前の秋の日、私と彼は何の言葉も交わすことなく肩を寄せあうでもなく、ただ並んで繰り返し繰り返し浮き上がっては沈んでいくオキゴンドウの背中を眺めていた。背もたれのない白いベンチ。真ん中にもう一人座れるか座れないかの微妙な空白。そこから10月の海風が幾度も抜けた。
そうしていた時間が何時間だったのか、何十分だったのかはもう思い出せない。
ひたすら鮮明なのは、傾きかけた陽に照らされた黄金色の駿河湾。

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爆進!ウィッグ道オマケ~超個人的ウィッグショップリスト~

爆進!ウィッグ道オマケ~超個人的ウィッグショップリスト~

毎回ただ漫然と思ったことを書き殴っているが、今回は「私も見出しとかリンクとか使いこなしたカッコいい記事を作りたい!」ということで、私の超個人的ウィッグショップリストを披露しようと思う。今にもどこからか「それって、あなたの感想ですよね?」と上ずった声が聞こえてきそうではあるが、どうか生暖かい目で見守るなりブラウザバックするなりしてほしい。

はじめに!(見出しだぁっ)ここまで私のウィッグに関する記事

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爆進!ウィッグ道④~お呼ばれWedding編~

爆進!ウィッグ道④~お呼ばれWedding編~

2021年。
生後4ヶ月の息子を抱え、29歳で乳がんになった2021年。
22年来の友人を、仲違いの末に自死で亡くした2021年。
クソッタレな1年。早く、1日でも早く終わってくれよ…これ以上の災厄を起こす前に。
私は砂時計の砂を焦れったく見つめる子供のように、祈るような思いで師走の一日一日を過ごしていた。
あともう少し…あとほんの少し、という12月29日、教え子からLINEが来た。
「式の日程決

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爆進!ウィッグ道③~一期一会編~

爆進!ウィッグ道③~一期一会編~

彼女と初めて会ったのは、10月12日。もうすっかり秋は深まっていたのに、彼女の柔らかな亜麻色の髪が、春の西日を思い出させた。
そう、このがんセンターの庭で、あの日一人包まれていた黄金色の、でも眩しすぎない暖かな光。ここは室内なのに、彼女の揺れる綺麗な毛先に、あの日と同じ西日が照り映えている気がした。

私はコミュ障である。
私の愛読書は匿名掲示板のまとめサイトなのだが(そしてこの時点で色々とお察し

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爆進!ウィッグ道②~派手髪編~

爆進!ウィッグ道②~派手髪編~

29歳、春。その視線は、蛇の舌のようにほんの一瞬…しかし確かな湿度と鋭さを持って飛んできた。

目立つことは嫌いではない。というより、幼少期から目立つことに慣れざるを得なかった。幼い頃から1人だけ、細かい縦ロールになってしまう天然パーマのせいで、見られるに限らず笑われる、触られる、指を指される、国籍を間違われるのは日常茶飯事だった。
私は真面目しか取り柄のない子供だったので中学3年まではストパー禁

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爆進!ウィッグ道①∽脱毛編∽

爆進!ウィッグ道①∽脱毛編∽

「RONIちゃんって美人だよねー!」
「うん!クールビューティ!!」
高校2年の時、突然クラスの今で言う2軍女子から容姿をベタ褒めされたことがあった。彼女たちは6、7人で、主に吹奏楽部のメンバーで構成されており、絶対的な地位を持ち他を寄せ付けない1軍女子とは違って男女構わず友好的に接する善良な人々だった。そんな彼女たちがわちゃわちゃと、廊下側の目立たない席で友人と2人「原作には描かれてない推しキャ

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ddECと私②

ddECと私②

妊娠した時、喜びよりも恐れが大きかった。いわゆる待望の妊娠ではなかったからかもしれない。子どもの頃から神経質で、少し気が滅入ることがあると生理が1週間ズレたり逆にいきなり不正出血したり、到底丈夫ではなさそうな自分の生殖機能にずっと自信がなかった。私は恐らく不妊だ。そう思い込んで生きてきた。だから結婚した時、後々どうせ不妊に悩むのだからと、すぐに妊活に入った。しかし初めての妊活で、私は妊娠した。

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ddECと私①

ddECと私①

私は嘔吐恐怖症である。
嘔吐恐怖症という言葉を知るずっと前…小学校高学年の、たぶん冬だった。私はいわゆる「お腹の風邪」にかかって学校を休んでいた。「お腹の風邪」が胃腸炎だったのか、ただ熱による食欲不振で吐いていたのかは覚えていないが、一緒に寝ていた「たれぱんだ」に向かって垂直に吐き散らしたのは覚えている。
そんな症状も落ち着きかけた夜、私は母とコンビニに行った。母が煙草を買いに出るのに、病身の心細

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今の闇~抗がん剤から1年~

今の闇~抗がん剤から1年~

2021年6月1日、私は初めて抗がん剤を身体に入れた。ddECという、2週間に1度の投与を4クールやる治療だった。

4月に手術を終え、抗がん剤治療を開始するまで、受精卵凍結による妊よう性温存治療をしたり、術後病理診断で最終的なステージが決まったり、記事にできそうな区切りはたくさんあった。
本当なら、1年経つ毎に書いていくつもりだった。のに。

妊よう性温存治療について書くべき日付が巡ってきたとき

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右乳と私

右乳と私

ずっと共闘してきた味方が物語終盤で突然悪の組織に寝返ったときの失望。
もしくは、
長年信頼し尊敬し、さらに自分のことを評価してくれていると信じきっていた上司から突然左遷を言い渡される絶望。
しこりを見つけたあの日から、右乳に対する私の思いはこんな感じであった。「裏切られた」、一言で言えばそんな気分である。
思えば、息子を産んだ産院で、同時期に入院していたお母さんの中で私だけ母乳が出なかった。ほかの

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入院の日

入院の日

今日のようなひたすら明るい青空だった。春の行楽日和とはこのこと。
お出掛けしたくなるようなお天気の中、その日の空の色と同じような明るいブルーのスーツケースを引きずった母を従えて、私はがんセンターの入り口を、胸を張ってくぐった。胸を張らなければ何かに負けそうだった。
「おはようございます!付き添いですか!」
係員が爽やかに問いかける。
「いえ、私が入院です!」
爽やかに答える。できるだけ明るく爽やか

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