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脳出血(⁠*⁠_⁠*⁠)でも、お役に立ちたい⑪

私は今、回復期リハビリテーション病院に入院中だ。
今までの記事で書いてきたように、前の病院では色々辛い目に遭ってきたが、リハビリの先生たちはみんないい先生(忘れてた!リハビリ医は最低だったのでその1名は除く)で、リハビリの時間=楽しい時間=痛みが消える時間だった。今の病院に来てからのリハビリについては、ほとんど書く隙間がないまま退院してしまいそうなので、ここで少しご報告。

毎日3時間、こんなに楽しくていいの?と思いながら贅沢な時間を過ごしている。スタッフも素敵、設備も素敵。病院を変わったら私もキャラ変えてみるか、と最初だけ大人しくしていたが、1日持たず、イチビってばかり。「何しに来てん、て思われないようにセーブしてくださいね。」という前の病院の理学療法士(PT)さんのありがたーいオコトバを忘れている。

今一番イチビっているのは、女性の作業療法士(OT)さんのリハビリの時間かもしれない。彼女は私が、お風呂の浴槽に入って座るのが難しい事に気づいてしまった。猛特訓のおかげで、私は毎日浴槽に湯をはって「いっい湯っだな、ハハン。」とお風呂を楽しんでいるが、彼女は他にやり残したことがないか、時を惜しんで猛迫力でリハビリしてくる。私の指をポキポキしたり肩周りを揉むことで動きを良くしたり、私に簡単にできる自主練の方法を伝授する。私はその間も、「イデデイデデイデデエエーヨ♪」と歌を歌ったり、猫のポーズで「ミャー」と鳴く。「やめてんか。変な人と思われてんで。」と注意され、背中を押さえられ我に返るが、彼女の目は「愛」であふれている。やっぱり私はラッキーな人だ。

前の病院の話に戻る。
2回目の大腸内視鏡検査(腸カメラ)。食事を摂っていなくても栄養点滴を入れているだけで、腸の中には、便のような水分が溜まるようだ。検査前の処置が始まった。看護師は、先生の指示で今回は下剤はなしになったと言った。いつだって、説明がない。なぜそうなったかの説明がない。センセイは神様か? 今回は浣腸3回します、と看護師が言った。心の中では、輸血した分全部血出したる、死んだる、おまえらのせいと騒がれろと思いながら、死んだら自分のまだ独身の子どもたちの幸せな姿が見れないからやっぱり死ぬのはやめとこ、とアホなことを考えていた。

結局浣腸3回でたっぷり血を絞り出して、検査が始まった。検査前に医者の顔を睨んだ。たぶん相手は気が付いていないだろう。胃腸科医が1回目の腸カメラの時に「なんでこんなにぐったりしてるんや。」と言った言葉に期待して何か配慮があると思っていたのに、配慮なし。患者の辛さに鈍感な医者と判定したぞ、と言う意味での睨みだ。アホタレ。
「今から麻酔します。寝てる間に終わるで。」と医者が言ったけど返事をしなかった。心の中で、サインしてないのに検査しやがる、アホアホアホと唱えていた。眠くもなってないのに、身体の中にカメラが入っていく。もうすぐ意識がなくなる、眠る、と思って我慢していたが、気分が悪くて意識がなくならない。「しんどい。」と一言いうと、「吐いたら喉詰まるんで横向かせて。」と医者が看護師か助手かに指示している。え、なんで吐くほどのしんどさ?しんどいどころではない。はらわたかき回されている感じ。ううううう。「うーん、うーん。」苦しくてうなった。何回も、何回も、うなった。
無視されて腹が立った。「痛い!麻酔効いてない、痛い、痛い、痛いー!!!」外に聞こえるように大声を出してやった。「もうすぐ終わる、じっとして。」医者め。これ説明抜きでするのは、ルール違反違うか?

本人は知らなかったのだ。これが手術だなんて。腸の中にある憩室から出血してるのかもしれないからクリップで留めたと、夫に「だけ」説明したらしい。痛い思いをした私には、一度も説明をしなかった。健康な時ならともかく、脳出血して体力が弱っている患者、それも患者本人が今回は腸カメラしたくないと主張しているのだから、慎重にすべきだろう。

実際8階に移ってからも便器が真っ赤に染まるほどのかなりの量の下血をしたのだが、私は8階の看護師に今までどんな酷い目に遭ってきたか話して、「絶対に腸カメラは拒否と胃腸科医に伝えて。」と言って、車椅子で個室のトイレを自分で移動して使用する時以外ベッド上で安静にし、出血は1日で止まった。下血が止まってから胃腸科医が、のこのこと病室にやってきて、「今回は検査は見送ります。」と言った。いちおう礼儀は欠いてはいけないと患者である私の方がアホな医者に配慮してやって、「はい。」とだけ答えた。心の中では、「あったりまえやろ、アホボケカス。」と言った。心の中では言いたい放題。

この日は木曜日。PTさんは、律儀に毎日病室に来てくれる。検査後の私のぐったりした姿を見て、「今日は、リハビリやめておきましょう。」と言った。たぶんリハビリは無理なことは分かっていても、様子を心配して来てくれたのだ。コロナで家族が病室に来れないから、PTさんはまるで私の家族だ。「明日のカンファレンス、Rさんも参加する予定になっているんです。」彼が教えてくれた。看護師も主治医も教えてくれない。彼が教えてくれなかったら、明日いきなり告げられていたところだ。「大丈夫ですか?無理そうだったらぼくが…。」PTさんが医者や看護師に意見を言うのが難しいことぐらい分かる。「いえ、大丈夫です。」また、根拠のない強がりを言ってしまった。

PTさんが部屋を出て行ってから、火曜日の検査の時に着せられて汚れたままで臭いがする検査着を着たままであることに気が付いた。明日カンファレンスに私も出るなら、まさかこの格好のままなんてあるはずないよね、と思い、点滴を取り換えに来た看護師に着替えさせてほしいと頼んだ。
彼女はまず、火曜と木曜が私のシャワーの日、と言った。その通りにシャワーに入れてくれたこともないくせに。それから、今日は検査があったし、まだ先生の(シャワーに入っていいとの)許可がないので、シャワーがない、だから着替えはない、と平気な顔で答えた。私は、具体的に言わないと通じない相手だと判断して、「さっきリハビリの先生から明日のカンファレンスに私も参加すると聞いたんです。この格好のままなのはあんまりなので着替えお願いします。」と懇願した。彼女は点滴取り換えや片づけの作業をしながら、「それじゃ、明日身体拭きます。その時にお着換えしましょう。」と私の顔も見ずに答えて、自分のやることが終わるとさっさと部屋を出て行った。

金曜日。カンファレンスの日。朝食のあと看護師が来て、カンファレンスが10時からありますよ、と告げに来た。10時からならそれまでに身体を拭くという意味で時間を告げに来たと思い、何時に身体を拭いて着替えさせてくれるのかと尋ねた。看護師は平然と、「準備色々ありますし、忙しくて。午後に身体拭いて着替えです。」と答えた。えええ!自分たちが忙しいから患者の身なりを後回し!この格好でカンファレンス。「でも、下着のシャツを着せて下さい。」そう言ったのだが、彼女は無視して部屋を出て行った。

10時近くになると、別の看護師が部屋に来た。私がいる個室の斜め前の部屋でカンファレンスがあると言う。今からその部屋に移動しましょうと言われたので、もうシャツを着せてもらう余裕はない。「この服、ちょっと動くと胸がはだけて見えるんで、クリップか何かで胸元留めてください。」と私が言うと、彼女は部屋の中で何か止めるものがないか、捜す「ふり」はしたが、10秒くらいで「ないわねえ。」と言って、私を車椅子に乗せて斜め前の部屋に連れて行った。

私がカンファレンスの行われる部屋に着いた時には、もうすでに6,7名の人が待っていた。部屋の右側にベッドがある。その横にリハビリ医が立っていた。彼はまず、「診察先にしときましょう。」と言って、私をベッドに横たわるように促した。横たわると胸元がすぐにはだけてしまう。私は右手で胸元の服の交差する部分をつまんで肌に押し付けて、指がクリップの代わりとなるように工夫した。しかし左側に力が入らないので、右手で身体を支えないといけない。右ひじを使って倒れるようにしてベッドに横たわった。いつの間にか室内にいる人数は増えていて、ベッドの周りに集まっている。私は、「マグロの解体ショーみたいですね。」と、ついアホなことを言ってしまった。笑いが起こり室内を和ませてしまった。今から思うと、そんなみじめな姿でさらし物にされているのに、怒ればいいのに。私のアホ。
私はその日も笑って、がんばって、自分が元気だとみんなを安心させたり、笑わせることばかり考えていた。
でも、今ならこう思う。その日のカンファレンスは、汚れて臭い服を着た私をさんざんさらし者にするショーだった。
バック・トゥ・ザ・フューチャーに出てくるタイムマシーン「デロリアン」に乗ってこの日に戻りたい。院長先生もいる、夫もいる、その場で、リハビリ医に天罰を下してやりたい。

この日はまだ、リハビリ医のことを「いい先生」と思い込んでいた。今なら、「医者を見ればまず疑え。」と思って医者には警戒している。今いるリハビリテーション病院の私の担当医は、この約2か月間、平日は毎日、私の所に来て診察してくれている。痛みやしびれ、動きにくいところ、便通が正常か、よく眠れているか、毎日聞いて、私が何か困っていることがないか確認してから、「それでは、今日もリハビリがんばってください。何かあったらスタッフにすぐ相談してくださいね。」と言ってくれる。もちろん、どの患者に対しても同じ態度だ。「いい先生」と私は判断している。

前の病院のリハビリ医は、名前をネットで検索すると多くの功績が出てくる、世間では有名な「いい先生」かもしれないが、医者が誠実で自分にとって良い先生であるのかは、誰かの意見や世間の評判で判断するのではなく、実際に医者と患者という人間関係をある程度の期間続けて、自分自身が判断するのがよいと思う。また、これだけ前の病院について多く語ってしまっている私が言うのはおかしいことだが、自分にとって「いい先生」でも、他の人には合わないこともあるから、特定の病院の「良い、悪い」や特定の医者の「良い、悪い」というのを口にするときには慎重にすべきだ。今の病院で、つい前の病院の名前を出して、酷い目に遭ったから転院したと話すと、その病院で生まれた、とか、出産してよかったのにという人もいて、あわてた。私は「人それぞれよね。その病院で病棟替わったら、みんな親切でよかったのよ。」と言ってごまかした。



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